10月8日 メッセージ要約

 「忍耐と慰めの神」ローマ15:1~6

教会は力のある人だけが重んじられる所ではありません。「自分を喜ばす」ことは、しばしば自己中心的な思いから始めますが「隣り人の徳を高めるために、その益を図って彼らを喜ばす」ことは思いやり、親切、善意に基づきます。そのモデルとなるのがイエス・キリストです。キリストはご自身を喜ばせることはされず、むしろ「あなたをそしる者のそしりが、わたしに降りかかった」(詩篇69:10)と書いてあるとおり、忍耐する神の御姿を見せられました。今も昔も神を信じる人々は同じような状況にあり、聖書はイエスにならって慰めと望みを得るよう勧めています。「こうして心を一つにし、声を合わせて、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神をあがめさせて下さるように」ばらばらの個性・人格であった人々がキリストのもとに一つになる。では「一致」とは何でしょうか?命令されて隣りの人の真似をすること、没個性を要求され司令官の意のままに、足並みをそろえて軍隊のように進むことではありません。人はそれぞれ歩くスピードも違えば、歩幅も違います。ばらばらでも良いのです。ではどこに一致があるのでしょうか。それは同じ目的に向かうところです。イエス・キリストのまなざしのその先、つまり神のご計画(御心)を求め、目指すところは一つであるということです。高慢、自己中心の罪(歪む・曲げるの意)は、人の集まり(組織・共同体・人間関係)を壊す方向性をもっています。一致をもたらすものは、謙遜と他者への思いやりです。旧約聖書全体はイエス・キリストを指し示す書物(ルカ24:27)で、神の忍耐の歴史、神を信じ成長していく神の民の歴史を学ぶことが出来ます。いかに神の御心に応答するべきでしょうか。様々な違いを認め合い、理解することを諦めないこと、共に神に向かい礼拝をささげることです。礼拝とは、バラバラだった人たちが神を中心に一つとなる神の奇蹟であり、救いの喜びと永遠の命の恵みを分かち合うことができるのが、信仰の素晴らしさです。