11月25日 メッセージ要約

 「神われらと共にいます」イザヤ7:1~17

旧約聖書からイスラエルの歴史に出て来る人を見ると、アダム、エバ、ノアやアブラハム、ヤコブとその子ヨセフ、モーセ、ヨシュア、ダビデ、どの時代であっても神がその人と「共におられる」ことが分かります。「インマヌエル」私たちと共にいてくださる神、の意味です。どこかの建物に鎮座してそこから動かない神ではなく、いつもどこでも私たちと一緒におられる神です。聖書では神が「わたしを信じよ」と語りかけます。神は信仰者に対して後ろからむち打ち「走れ、進め」と歩ませるお方ではなく、恵みと祝福の約束を持って「わたしはこのようにするから信頼して共に歩みなさい」と教えられているのです。イザヤ書の中で“信仰”とは一生けん命に努力して行うというよりも「静かに」「より頼む」神に一切を委ねて神のご計画が成るのを見上げる姿勢です。「神が我々と共におられる」(イザヤ8:10)周りを敵の大軍に囲まれても南ユダ王国を助けられたように、大いなる力を持つ方が人の子として生まれました。(マタイ1:23)『見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。これは「神われらと共にいます」という意味である。』人間と同じ朽ちる肉体をもって生まれ、ご自分の死によって死の恐怖に奴隷となっている者たちを解き放つために来られたキリストは、弱い人間と同様に試練を受けて苦しまれたから、試練の中にある者たちを助けることができる(ヘブル2:14~18)その痛みに寄り添うことができるのです。私たちと共にいて下さる神は、私たちの弱さに同情できない方でなくマタイ28:20 『世の終りまで、いつもあなたがたと共にいる』と約束し励まして下さる方です。