1月14日 メッセージ要約

「患難と希望」ローマ5章3~5節

患難(苦難)を喜ぶことができるのでしょうか。天災にあっても神を信じていれば一人だけ守られる、というはありません。「天の父は、悪い者の上にも良い者の上にも太陽をのぼらせ、正しい者にも正しくない者にも、雨を降らして下さるからである」(マタイ5:45)苦しみや痛みは誰もが避けたいものです。神の平和(シャローム)とは、もともと争いや不幸が無い事を表すだけではなく、満ち満ちた状態という意味があります。私たちは状況や環境に流されがちですが、大変な時こそ変わらないお方から平安をいただくべきです。イエスは十字架にかかる前「しもべには大切な事は教えないが、あなたがたは私の友(大切な人)だから全部話しました」と言われました。神の御子が身代わりの犠牲となって下さるほど、私は神に大切にされ愛されているのです。患難は忍耐を生みだします。神の忍耐には目的が明確です「わたしたちの主の忍耐深さを、救いと考えなさい」(Ⅱペテロ3:15)。私たちが手に負えない試練につぶされるのを神は望まれているわけではありません。「あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである」(Ⅰコリント10:13)忍耐は練達(品性)を生み出し、練達は希望を生み出す。希望を持って生きるためには、キリスト者として生きる目的を明確にすることです。三つの愛に生きる(神を愛する、自分を愛し、同じように隣人を愛する)ためには、環境や状況に左右されず自分の意志で決断し、結果は自分の責任として引き受けていく生き方、それを私たちは主体的に選ぶ自由が与えられています。)自分の力量だけでは行き詰まることもあります。でも私たちに賜っている聖霊が共におられるから、希望は失望に終わることはありません。