3/31メッセージ要約

 

「主のよみがえり」マタイ福音書27:57~66

処刑された犯罪人は、その家族の墓に葬ることが許されていませんでしたが、身分の高い議員であるアリマタヤのヨセフがイエスの遺体を引き取ると申し出ました。木にかけられた死体は、その日の内に埋葬しなければなりません(申命記21:22~23)この時は日没とともに安息日が始まるので時間がない中、きれいな亜麻布で遺体を包み、ニコデモが多量の香料を提供してくれ、急ぎ葬りの作業をしました。ヨセフが自分のために用意していた墓でしたが、処刑された囚人を葬るとそれ以降、その墓は使うことは出来ません。彼は権力者を恐れて生前にその信仰を表明することは出来ませんでしたが、大きな犠牲を払い主のために働く最後の機会を得たのです。翌日、ピラトはイエスの埋葬のことでユダヤ人指導者から陳情を受けました。祭司長やパリサイ人たちはイエスが復活を予告していたことを覚えていたのです(※この時、弟子たちは思い出せずにいたのですが、反イエスの人々はイエスの言動から揚げ足を取ろうとしていたので、よく聞きよく覚えていたのは皮肉です)彼らは、弟子たちが死体を盗んでイエスが復活したと主張することを心配しました。三日目までにイエスの遺体を守れば企てをつぶすことが出来るので、墓の番を命じてほしいというのです。そこでピラトは求めに応じ、ローマ兵を遣わしました。兵士たちは墓の石に封印をし、見張りに立ちました。イエスの復活のねつ造を阻止するために、打つべき手は打った、と考えました。しかし面白いのは、復活を妨害するする行為がかえって神の奇蹟を証明することになるのです。イエスを憎んだ政治的・宗教的指導者たちは、嫌な展開になったことに不安を覚えたことでしょう。イエスをこの世から葬った後も、今度は「復活の主」となることを何がなんでも防がなければなりません。神の働きを無視し、自分たちの立場を守るために必死に神の計画に抵抗しているのですから心に平安があるはずありません。反イエス派の人々にとって、よみがえりは「永遠に解けない謎」です。検証しようとすればするほど、説明できない「不思議」にぶつかるのです。信じる者には復活は神の約束の成就、希望です。