「われわれの罪のために」創世記42章
聖書には子どもを亡くす親の話がいくつかあります。アダムとエバの息子アベルの死に始まり、ヨブは同時に何人もの子どもを喪いました。聖書は子どもを亡くす親の悲しみを、最もつらい出来事の一つとして描いています。ヤコブは自分の愛する子どもを失う経験を、一度ならず二度もしました。まず最愛の子ヨセフが獣にかみ殺されたと知らされ、20年以上の歳月がたってから末息子のベニヤミンを手放さなければならないという状況になりました。ヤコブ自身は兄エサウとの確執から、母リベカのもとを離れ、伯父のもとで苦労を重ねた半生を送りました。もうこのような思いを子どもにはさせたくないと思っていたでしょう。しかしリベカが双子のうち自分だけを偏愛していたように、ヤコブもまた12人の息子の中でヨセフだけに固執し、家族関係がこじれる原因を自分で作ってしまいました。ヨセフを殺そうとし、奴隷として売った兄たちもまた、神の前に咎めがあり、父親の前に後ろめたさがあり、父と息子たちはお互いに本心を語り合えないまま20年以上が過ぎていました。その間ヨセフは30才でエジプトの宰相になり、7年の豊作の後、7年の飢饉が訪れます。カナンの地でも飢饉は激しく、400㎞も離れたエジプトへ食糧を手に入れに行くのはかなり躊躇したと思いますが、他に為す術もないので父ヤコブに説得され、兄たちはエジプトまで旅をして、食糧を買い求めます。そして弟とは知らず、地に顔をつけて伏し拝みました。それは10代の頃ヨセフが見た夢がまさに実現した瞬間でした。ヨセフはエジプトの祭司の娘と結婚し、エジプトの言葉を話し、通訳を介して兄たちと対面したので、兄たちは誰も気づきません。ヨセフは兄たちにスパイの嫌疑をかけ、この章だけでも「間者」という言葉が7回も使われています。かつて自分を酷い目にあわせた兄たちがこの20年の間にどう感じながら過ごしていたのか、引き出そうとして試していたのです。兄たちは自分たちが理不尽な目にあうことを「私たちは弟のことで罰を受けているのだ、弟が助けを求めた時、その苦しみを見ながら聞こうともしなかった」と互いに言います。兄たちもこの20年、咎めを感じながら後悔しているのだと知り、ヨセフは人知れず泣きます。神様もまた、罪を犯した人間の悔い改めを引き出し、赦そうとされるお方です。