- 2015-05-09
- 2023-11-10
5月17日メッセージ要約
『キリストと聖霊によって』 (使徒行伝1章3?5節) ルカによる福音書の続きである使徒行伝。ルカが書き記したイエスは病の人を癒し、弱った人を助け、罪人に対し神の愛と憐れみを説いたお方。そして福音書の中で最も聖霊の御働きが多く記されている。 使徒 […]
『キリストと聖霊によって』 (使徒行伝1章3?5節) ルカによる福音書の続きである使徒行伝。ルカが書き記したイエスは病の人を癒し、弱った人を助け、罪人に対し神の愛と憐れみを説いたお方。そして福音書の中で最も聖霊の御働きが多く記されている。 使徒 […]
『イエスに従う』 ヨハネ21章20?25節 復活された主は、ペテロがどのような死に方をして神の栄光を現すかを示されながら言われた。「わたしに従いなさい。」しかし、それに対しペテロが放った最初の問いは「この人(ヨハネ)はどうなのですか」というものであ […]
『イエスのカウンセリング』 ヨハネ21章1?19節 イエスにつき従っていた弟子たちは、生まれ故郷のガリラヤに帰っていた。復活の主に出会い、自分たちが尊敬していた先生はまことに神の御子であったことを知った。しかし彼らは自らの愚かさ弱さ至らなさを思い知り […]
『ともにおられる主』 ルカ24章13?32節 エマオに行く途上、エルサレムであった出来事について話あう二人。彼らはイエスを力ある預言者だと信じ、ローマからイスラエルを解放するのはこの方だと期待していた。しかしイエスが殺されたことでその望みは絶たれ、 […]
『平安あれ』ヨハネ20章19?23節 「信仰」の対義語は「不信仰」ではなく「恐れ」である。弟子たちは、イエスと同じように自分たちも捕えられ殺されるのではないかと恐れ、戸を閉めて息を殺し潜んでいた。不安や恐れ、様々な思念に囚われていた彼らを一変させたの […]
『誰を捜しているのか』ヨハネ20章11?18節 イエスの十字架による死から三日目の週のはじめの朝早く、イエスの墓が空になっているのを見たマグダラのマリヤは悲しみに沈んだ。愛する主の遺体がどこにも見あたらないからである。 「誰を捜しているのか」と問わ […]
『十字架による赦し』ルカ23:32?49 十字架を背負いゴルゴダの丘を上るイエス。刑場に向かっていくイエスを人々はあざ笑った。イエスに関する出来事は、彼の死でもって終わると人々は思っていた。 しかし、肉体の滅び=死ではない。罪による神との関係性の […]
聖書箇所ルカ19:28?44 イエス様が再度、受難の予告をされるが、弟子たちは理解出来なかった。 人は見たいように見、聞きたいことだけを聞く。弟子たちさえもイエス様の真意が分からなかった。イエス様の見ているものと弟子たちが見ているものが違っていた。 […]