- 2013-03-24
- 2023-11-10
2013年3月24日礼拝メッセージの要約
『われらの避け所』 十字架上のイエス様は、‘見せしめ’の意味も含まれているため、残酷な苦しみに耐えられた。共に十字架に架けられた犯罪者の一人は、始めもう一人と共に悪態をついていたが、十字架上でさえ、人をとりなすイエス様の姿に心 […]
『われらの避け所』 十字架上のイエス様は、‘見せしめ’の意味も含まれているため、残酷な苦しみに耐えられた。共に十字架に架けられた犯罪者の一人は、始めもう一人と共に悪態をついていたが、十字架上でさえ、人をとりなすイエス様の姿に心 […]
『十字架の力』 イースターが近づいている。イエス様が私たちの罪のために、十字架に架かられ、よみがえられた…と言う事は、多くの人たちには、愚かなことと思われている。しかし私たちにとって、クリスマスと同じように大切なことである。 聖書は、 […]
『祈りの祝福』 イエス様は、神のみ子であられたが、人としてこの地上での生活の中で祈りも大切にされた。公生涯の始め、弟子たちを選ぶ時など、静かな所で祈り、充電するかのように、聖霊に満たされ祈られた。 私たちは、何のために祈るべきだろうか?私たちは、弱い […]
『恐れを取り去る主』 イエス様の偉大な奇跡を、目の当たりにした弟子たちも、水の上を歩いて来られた主を、幽霊だと思ってしまった。ペテロは、大胆にも水の上を歩くのが、イエス様だとわかると、‘水の上を渡らせてほしい’と願う。しかし風 […]
『新しい契約』 契約関係には、夫婦間のように、お互いが対等の場合と、遺言状のようにどちらかの一方的な意志である場合がある。 聖書の言う‘契約’は、神様の一方的な意志として、表されている。 なぜ新しい‘契約&rsqu […]
『永遠の大祭司』 大祭司メルキゼデクと言う人が、ここ以外に何度か出てくる。その名前は、『正義』と言う意味を持ち、詳細は、わかっていない点が多いが、サレム(平和の意)の王であり、優れた祭司でもあった。 律法が成立するはるか前に、彼は、アブラハムから捧げ […]
『主の弟子である事の基礎』 私たちは、思わず「主よ!」とクチ走ってしまう事がある。悩みや問題の時、主の名を呼び祈る事は、大切であるが、単に口癖のようになってしまってはいないだろうか?そこに主への思いも信仰も無ければ、たとえ‘多くの力ある […]
『命のパン』 偉大なみ業をみたユダヤ人の中には、イエス様がイスラエルを復興してくれると期待する者があり、またイエス様を信じるための業を求める者もあった。 イエス様は、モーセの時代に荒野で天から神様がマナ(パン)を降らせたように、ご自身が&lsquo […]
『天国を学ぶ学者』 私たちの与えられている救いは、どれほど尊いものでしょうか?イエス様が譬えられた‘良い真珠’や‘畑に隠した宝’のように、持ち物を売りはらってでも、手に入れたくなる…価値の […]
『忍耐の秘訣』 ここまで、信仰の未熟さなどを指摘する厳しい事が書かれていたが、一転‘愛する者たちよ’と、これまでクリスチャンたちが、使徒など、主の働き人や貧しい人たちに施して来た愛の業を、主は覚えて、喜んで下さっていることが […]