- 2015-04-12
- 2023-11-10
4月12日のメッセージ要約
『平安あれ』ヨハネ20章19?23節 「信仰」の対義語は「不信仰」ではなく「恐れ」である。弟子たちは、イエスと同じように自分たちも捕えられ殺されるのではないかと恐れ、戸を閉めて息を殺し潜んでいた。不安や恐れ、様々な思念に囚われていた彼らを一変させたの […]
『平安あれ』ヨハネ20章19?23節 「信仰」の対義語は「不信仰」ではなく「恐れ」である。弟子たちは、イエスと同じように自分たちも捕えられ殺されるのではないかと恐れ、戸を閉めて息を殺し潜んでいた。不安や恐れ、様々な思念に囚われていた彼らを一変させたの […]
『誰を捜しているのか』ヨハネ20章11?18節 イエスの十字架による死から三日目の週のはじめの朝早く、イエスの墓が空になっているのを見たマグダラのマリヤは悲しみに沈んだ。愛する主の遺体がどこにも見あたらないからである。 「誰を捜しているのか」と問わ […]
『十字架による赦し』ルカ23:32?49 十字架を背負いゴルゴダの丘を上るイエス。刑場に向かっていくイエスを人々はあざ笑った。イエスに関する出来事は、彼の死でもって終わると人々は思っていた。 しかし、肉体の滅び=死ではない。罪による神との関係性の […]
聖書箇所ルカ19:28?44 イエス様が再度、受難の予告をされるが、弟子たちは理解出来なかった。 人は見たいように見、聞きたいことだけを聞く。弟子たちさえもイエス様の真意が分からなかった。イエス様の見ているものと弟子たちが見ているものが違っていた。 […]
『ヤコブの礼拝』 私たちは、なぜ礼拝するのだろうか?神様は、今も生きておられる方であって、私たちを愛して 下さる方である。私たちは、だから礼拝するのである。 ヤコブは、祝福を受けるために手段を選ばなかった。結果、彼は挫折を味わったが、神様は、天使を […]
『あなたの神はどこにいるのか?』 旧約時代、神様に背き、偶像礼拝に走る民にエリヤなど、指導者たちは、「いつまで2つの間に迷っているのか?」主を選び、しっかり従うように命じた。 アダムとエバ以来、人は罪ゆえに、神様と断絶状態になってしまったが、イエス様 […]
『恵みの奉仕』 マケドニヤの諸教会の人たちは、自分自身が貧しいにも関わらず、エルサレム教会の貧しい人々のために、募金をした。パウロは、そのことを伝えて、何らかの事情で止まっていたこの恵みの業をコリントの教会もやり遂げるように勧める。 パウロは、8・9 […]
『十字架の赦し』 “神は愛なり”と私たちは知っているが、これは単に、主は優しい方、必要を満たして下さる方…と言う簡単なことではない。罪ゆえに裁きを受け中ればならない私たちの身代わりとなって、十字架にかかるという愛である。 ステパノは、「私の霊をお受け […]
『神の言葉の拡がりのために』 弟子たちに聖霊が注がれ、たくさんの人が救われたが、人が増えれば、混乱も起き、当時のエルサレム教会に集まっていたギリシャ語を話す人たちとヘブル語を話す人たちが食事の事でもめていた。 使徒たちは、“神の言を後回しにして食卓に […]
『救いの業のスタートライン』 イエス様は、サタンの試みにあわれ、弟子たちを選ばれた後、初めの奇跡を行われた。“水をぶどう酒に変える”という奇跡は、律法や多くの規定に縛られてきた人々の信仰生活を新しくする、救い主としてのしるしである。 「私の時はまだ来 […]