- 2015-02-15
- 2023-11-10
2015年2月15日礼拝メッセージの要約
『十字架の赦し』 “神は愛なり”と私たちは知っているが、これは単に、主は優しい方、必要を満たして下さる方…と言う簡単なことではない。罪ゆえに裁きを受け中ればならない私たちの身代わりとなって、十字架にかかるという愛である。 ステパノは、「私の霊をお受け […]
『十字架の赦し』 “神は愛なり”と私たちは知っているが、これは単に、主は優しい方、必要を満たして下さる方…と言う簡単なことではない。罪ゆえに裁きを受け中ればならない私たちの身代わりとなって、十字架にかかるという愛である。 ステパノは、「私の霊をお受け […]
『神の言葉の拡がりのために』 弟子たちに聖霊が注がれ、たくさんの人が救われたが、人が増えれば、混乱も起き、当時のエルサレム教会に集まっていたギリシャ語を話す人たちとヘブル語を話す人たちが食事の事でもめていた。 使徒たちは、“神の言を後回しにして食卓に […]
『救いの業のスタートライン』 イエス様は、サタンの試みにあわれ、弟子たちを選ばれた後、初めの奇跡を行われた。“水をぶどう酒に変える”という奇跡は、律法や多くの規定に縛られてきた人々の信仰生活を新しくする、救い主としてのしるしである。 「私の時はまだ来 […]
『天の召し』 当時迫害に苦しんでいたクリスチャンたちに“天の召しに預かっている聖なる兄弟” と、大変光栄な呼びかけがされている。イエス様の十字架の恵みにより、罪赦された私たちも同じように呼びかけられ、神の国の民とされている。 イエス様は、ユダヤ人たち […]
『将来のために祈る』 ユダの人々は、バビロンへの捕囚となっても、2年で解放される、と誤った預言を信じて、自分たちの姿勢を改めようとしなかった。主は、人を迷わせた預言者を厳しく責められる。 主は、バビロン捕囚の期間は、70年と長いが、その地で、子や孫を […]
淡路聖会 『天が開かれている人生』 使徒7:54?60 和泉神愛キリスト教会牧師 平松 慶次師 聖霊が教会に注がれて、教会は、成長していったが、大変な迫害も起こった。ステパノの殉教もその一つである。しかし、彼は「天が開けて‥」イエス様の姿を見て“死 […]
『さらに力を受ける』 ペテロは、聖霊が注がれ、イエス様を否んだ同一人物とは思えない程、大胆にメッセージを語った。旧約の中では、特別な人が特別な時に‘霊が臨んだ’が、ヨエルが預言した通り、「すべての人に注がれる」時がきた。そこには、老若男女、立場 […]
『主と出会う礼拝を目指して』 創世記の始めから、人は罪のため神様から離れる事もあったが、‘主の名を呼び’礼拝をしてきた。旧約時代には、律法の規定に従っていたが、その心は伴っていなかった。 罪に乱れた生活をしていたサマリヤの女にイエス様は、出会っ […]
『み心にかなう者』 王として、救い主(メシヤ)として、遠い昔から預言されていたイエス様の誕生は、主人公として大歓迎されて良かったハズである。しかしヨセフとマリヤには、馬小屋しか泊まる所がなかった。 “救い主の誕生”と言う最高のニュースは、本来、研究し […]
『受肉のキリスト』 『はじめに言があった』と、創世記の天地創造と似た文章で始まっている。“言”と言うのは、人格を持った神様であり、その言葉によってすべてのものを創造されたことを表している。この“言”は、三位一体の神様であり、イエス様も創造の時から働 […]