- 2014-04-06
- 2023-11-10
2014年4月6日礼拝メッセージの要約
『病いを背負って下さる主』 イエス様が成し遂げられた‘あがないの業’は、人の罪をその身に背負われるためであり、その結果、人が罪を離れ、義に生きるためであった。それは、私たちの‘たましいの健康’のためだけ […]
『病いを背負って下さる主』 イエス様が成し遂げられた‘あがないの業’は、人の罪をその身に背負われるためであり、その結果、人が罪を離れ、義に生きるためであった。それは、私たちの‘たましいの健康’のためだけ […]
『主の涙』 いよいよ十字架に向かって行かれるイエス様は、旧約の中にも預言されている王としてエルサレム入城された。悪政に苦しむ人々は、真理を理解していなかったが大喜びした。しかし、イエス様は、この崩壊しつつあるエルサレムを思って涙を流された。 この後、 […]
『リバイバルの業』 新島八重、黒田官兵衛とNHKドラマで取り上げられ、その時代の中で、クリスチャンとして社会に影響を与えた人たちがあった事を知ることが出来る。私たちは、社会で地域で良い証しとなっているだろうか?聖霊が注がれた使徒たちとその周りに集まっ […]
『私たちを養われる主』 イエス様は、祈るために静かな所に退こうとされたが、飢え渇いた人々は、どこまでもイエス様について来ようとした。彼らを主は、‘飼う者のない羊’のようにあわれみ、彼らの必要を満たそうとされた。 男だけで5千 […]
『み霊のとりなし』 今週は、東日本大震災の被災者のために祈る事になっている。‘祈り’と‘願い’の違いは、祈りは一般的なもので、願いは個人的な事と言える。私たちは、自分の事ばかり祈っている… […]
『喜びと平安』 この世の楽しみと言うのは、一時的なものが多い。しかし主にある喜びは、主が与えて下さる永遠の約束であり、主とその喜びを共有する事が出来る。私たちは、ぶどうの木である主に繋がっている事で、その喜びを持ち続ける事が出来る。 平安も喜びと似て […]
『天の喜び』 私たちには、いろんな喜びがあるが、クリスチャンの喜びは、自分が‘救われている’‘天に名がしるされている’ことではないだろうか?イエス様の十字架により罪赦されて、新しく生まれた者として、朽ち […]
『主を喜ぶこと』 エズラ、ネヘミヤ、エステルは、ほぼ同時期に活躍した、主の僕である。主の宮や城壁が再建され、民が集められた祭の日、改めて‘律法の書’が開かれた。エズラは、神様をほめたたえ、民は‘アァメン&rsquo […]
『アーメンと栄光をかえす』 私たちには、気が変って予定を変更する事が良くある。パウロたちが予定を変えて、コリントに寄らなかったのは、コリントの人たちの事を配慮して、でもあった。ハイと言いながら、いいえと言うような不真実な事ではなかった。 パウロはさら […]
『主にあがなわれた者』 34章のさばきのメッセージから一変して、回復の預言がされる。荒野に花が咲き、良い香りが漂うように、喜びに満たされる時がやってくる。現状とは、ほど遠くても、神様が回復して下さる時が来る。 弱った手、よろめく膝、心おののく者&h […]