- 2010-09-26
- 2023-11-10
2010年9月26の礼拝メッセージ要約
ユダヤ人たちは、神様に近づくためにささげ物を献げ、誇ってきたが、私たちは、イエス様の十字架により、私たち自身を生きた聖なるささげ物として献げることが勧められている。 私たちは、それぞれキリストの肢体として、生かされている。それぞれの働きをする上で、余 […]
ユダヤ人たちは、神様に近づくためにささげ物を献げ、誇ってきたが、私たちは、イエス様の十字架により、私たち自身を生きた聖なるささげ物として献げることが勧められている。 私たちは、それぞれキリストの肢体として、生かされている。それぞれの働きをする上で、余 […]
イスラエルは、周辺諸国から様々な攻撃を受けていた。まず、神様は全能の方であり、圧倒的な力で支配しておられる事が語られる。‘神のみ業を見よ’と紅海やヨルダン川を渡らせ、周辺の敵を監視しておられる方である事が示される。 また主は、 […]
ローマ10章で、高ぶり自己義に陥ったイスラエルの民から、主は、‘主の名を呼び求める’異邦人へと救いの道を開かれた。そのことに対し、「神はその民を捨てたのであろうか」の疑問が湧き上がってくるが、パウロは、エリヤを譬えにあげて、偶 […]
私たちの人生で、様々な岐路に立たされる。時には、信仰を抜きに考えた方が楽だ、と思わされることもある。 このモーセは、パロ王の娘に拾われた結果、その息子として何不自由ない将来がまっていたが、神の道を選んだ。ほかダニエルやエレミヤなど、主に従 […]
‘ニコデモ’は、ユダヤ最高議会の議員であり、律法の教師でもある。しかし、本当の意味での救いの確信に至っていなかったと言える。夜にイエス様のもとに質問にやってきた。 「人は新しく生まれなければ神の国に入ることはできない」とイエス […]
主に大いに用いられたダビデであったが、神殿建設を前に、できる限りのものをささげた。そのことによって、民たちもささげ、たくさんのものが備えられた。しかし、ダビデが祈った祈りは、たいへん謙遜な祈りであった。 ダビデは言っている。喜んでささげたと言えども、 […]
今は、たいへん平和になり、信教の自由が守られている。戦時中は、仏教界でさえ戦争賛美と思える法話が語られたそうで、パレスチナや世界のいろいろな地域で今も戦争が行われている。また、私たちの周りにも、心に平和を失っている人がたくさんいる。 私たちは、イエス […]
教会に迫害が起り、弟子たちが各地に散らされ、み言葉を伝えていった。始めは、ユダヤ人だけに語っていたが、アンテオケでは、ギリシャ人にも語り、信じる者がふやされていった。彼らの信仰の成長のために、バルナバたちが遣わされ、教えや励ましがなされた。この時から […]
ヘブル書は、ユダヤ教から改宗したクリスチャンに書かれているため、迫害に苦しまなければならなかった彼らが、イエス様のあがないにより、さらに勝った恵みの中に入れられていることが何度も強調されている。 ‘平和の神’と他の手紙にも祈ら […]
パウロは9章に続き、イスラエル人の問題にふれ、彼らの熱心さは認めているが、深い知識によるのでなく、自己中心的で神の義に従わないものであることを、指摘している。 パウロは、旧約聖書を引用し、信仰による義は、旧約時代から約束されたことであって、イエス様が […]