- 2013-10-13
- 2023-11-10
2013年10月13日礼拝メッセージの要約
『洗足の教え』 イエス様がいよいよ十字架に向かって、進んで行かれたが、その前に弟子たちに対して、‘その愛を残るところなく示され’彼らの足を洗われた。これは汚れた足を洗うという僕の役割で、弟子たちは非常 […]
『洗足の教え』 イエス様がいよいよ十字架に向かって、進んで行かれたが、その前に弟子たちに対して、‘その愛を残るところなく示され’彼らの足を洗われた。これは汚れた足を洗うという僕の役割で、弟子たちは非常 […]
『主はぶどうの木』 イエス様は、ぶどうの木と枝の譬を用いて、枝である私たちがイエス様に繋がっているべき事を教えられた。イスラエル民族は、元々‘純良種のぶどう’に譬えられていたにもかかわらず、背信行為を重ね、神様から離れた状態 […]
『とりなして祈る』 百卒長(百人隊長)のしもべが重病のため、死にそうだ、とイエス様の元にユダヤ人の長老を通して助けを求めてきた。百卒長と言えども、ユダヤ人にとっては‘異邦人’である彼は、「屋根の下にあなたをお入れする資格もな […]
『神の友』 ヤコブは、‘信仰があると称していても、もし行いがなかったら、なんの役に立つ’のか?厳しい問いかけをしている。困難の中にある人に、「祈っています」と言うだけで、自分のできる手助けもしないなら、本当にその人を愛してい […]
『まことの礼拝』 私たちがささげる毎週の礼拝は、『安息日を覚えて、これを聖とせよ』と言う十戒が基礎になっている。しかし、ただ‘そこに座っている’と言う形だけになっていないだろうか? サマリヤの女は、イエス様に礼拝の場所につい […]
『自由の律法で』 成熟したクリスチャンとして生きるために、ヤコブは、この書の中で何度も‘わたしの兄弟たちよ!’と呼びかけ、兄姉愛の実践を勧める。栄光の神を信じる私たちが、教会内で外見や身なりで差別することがあってはならない。 […]
『主の僕イエス』 片手の悪い人を安息日であっても、羊より優れたものと癒された事は、この章のはじめの記事も含め、‘安息日問題’に発展し、彼らはイエス様を殺そうと相談する。イエス様は、それを知って去られた。 ここはイザヤ書42 […]
『み言葉をみつめて』 私たちは、主に愛されている者であり、主が変わることなく、私たちに良いもの、完全な賜物を与えて下さる方である。 「そんなに怒る事でもなかったのに…」と反省する事がある。神の愛によって新しく生まれた者 […]
『成熟した信仰を目指して』 この手紙は、主の兄弟ヤコブが書いたものである。彼は、イエス様を受け入れず、反発していたが、十字架、復活を通して、変えられ主を信じ、‘主のしもべ’として働いた。この手紙は、離散しているクリスチャンた […]
『心を定めて』 8月15日は、終戦記念日であり、教団では、『信教の自由を守る日』でもある。今は、平和が当たり前になり、自分の信仰を自分で決めて当然の世の中にいるが、その分真剣に考えなくなっているのではないだろうか。 今日の記事は、王の宮に仕える者 […]