- 2019-11-24
- 2023-11-09
11月24日 メッセージ要約
『罪咎を担うキリスト』イザヤ53章 「主のしもべ」について学んでまいりましたが、この言葉は預言者やイスラエルを指す他に、救い主キリストのことも表しています。53章ではまず、主のしもべに対する人々の評価が書かれています。神の真理は民衆の常識を越えたもの […]
『罪咎を担うキリスト』イザヤ53章 「主のしもべ」について学んでまいりましたが、この言葉は預言者やイスラエルを指す他に、救い主キリストのことも表しています。53章ではまず、主のしもべに対する人々の評価が書かれています。神の真理は民衆の常識を越えたもの […]
『主なる神が助けてくださる』イザヤ50章4?11節 神の御言葉によって「疲れた者をことばで励まし」「暗い中を歩いて光を得ていなくても、なお主を依り頼みおのれの神に頼る」ことができるように、まず「主のしもべ」たる自分がよく聞くことです。「聞く」という行 […]
『わが報いはわが神と共にある』イザヤ49章1?13節 42章での「主のしもべ」に期待される働きとして「公義を行う」とありました。それは正しく法(律法)を取り扱うことです。神がイスラエルに律法を与えてられてから歳月を経る間に律法が守られなくなったり、趣 […]
『わたしの支えるしもべ』イザヤ42章1?9節 「神が共におられた」「ダビデの道を歩んだ」などいくつかある信仰者の良き形容に中に「主のしもべ」があります。神の御心を行う者、救いのご計画を地上で実現するために遣わされた者のことです。イザヤ書に頻出の「主の […]
『喜びのうちに救いの水を』イザヤ12章 救いの井戸とは尽きることのない恵みの源泉を意味します。信仰者はその泉から喜びをもって恵みを汲み取っていくのです。かつて井戸または河川から水を汲み取り運ぶ作業は大変重要な労働でした。旧約では創世記に「水を汲む」作 […]
『サウル王の死』サムエル上31章 サウル王、ダビデ共に絶体絶命の危機が訪れましたが、それぞれがとった行動により人生の明暗がはっきり分かれたのです。ダビデはペリシテ軍に席を置くも不信任により離脱を余儀なくされ、チクラグへ帰還します(29章)。するとアマ […]
『ダビデ再びペリシテへ』サムエル上27章 24章、26章でサウル王とダビデ討伐軍は帰って行きましたが、ダビデは再度サウルの追手が来ることを怖れ、600の兵とその家族とともにイスラエルの敵であるペリシテへ移動することを決断しました。10年も続く長い逃亡 […]
10/6礼拝説教『ダビデとサウルの再会』サムエル上26章 ダビデがサウルのもとを出奔して以降、2度サウルに手をかける機会がありました。1度目は24章でダビデ討伐を企てたサウル王がエンデゲの荒野に到着後、小用を足しに洞穴に入ったところにダビデがいたので […]
『ナバルとアビガイル』サムエル上25章 カレブの子孫であるナバルは多くの家畜とそれを放牧する広大な牧草地を有する富豪でした。彼の所有地はペリシテの略奪隊の脅威に常にさらされていましたが、逃亡中のダビデとその部下が彼らを守っていたため、ナバルの部下たち […]
『感謝を優先させるなら』 聖書箇所ルカの福音書17章11?19節 説教者 澁谷 友光師 「感謝します」という言葉は、クリスチャンになってからよく使う言葉ですが、一般的にはあまり耳にしないようです。私たちはイエス様を信じてから、感謝することを教えら […]