- 2014-10-12
- 2023-11-10
2014年10月12日礼拝メッセージの要約
『主の戒めに生きる』 パウロは、出エジプトしたイスラエルの民が、雲の柱に導かれ、海の水を分けて渡らせて下さった神様を忘れて、偶像の神に仕えるようになってしまった。異邦人でありながら、イエス様によって、救われたコリントの人々(私たちも含む)に、これらと […]
『主の戒めに生きる』 パウロは、出エジプトしたイスラエルの民が、雲の柱に導かれ、海の水を分けて渡らせて下さった神様を忘れて、偶像の神に仕えるようになってしまった。異邦人でありながら、イエス様によって、救われたコリントの人々(私たちも含む)に、これらと […]
『み言葉を宣べ伝える』 『全世界に出て行ってすべての造られたものに福音を宣べ伝えよ』と言うのは、直接的には当時の弟子たちに語られた命令である。私たちは、外国や大来に出て、個人伝道したり出来ないかも知れない。しかし、自分の家族やお友達にも迷っている子羊 […]
『証しの力』 『関西聖会』で恵みを受けてきた。伊藤頌栄師のメッセージを一言でいうと、“すべての人が救われてほしい”という神様のみ心のために私たちクリスチャンは、証しする事が求められている。弟子たちは、聖霊を受ける前、イエス様から多くの事を学んだはず […]
『主の晩餐』 私たちの教会が属するプロテスタント教会は、儀式をあまり持たないが、‘聖礼典’として行っているものが2つある。イエスキリストを救い主と信じて従う決心を表す『洗礼式』とイエスキリストの十字架の死を覚えて行う『聖餐式』である。初代教会では、 […]
『礼拝の原点』 重い皮膚病を患った10人が受けていた苦しみは、私たちの想像を超える。イエス様は、そのような苦しみの中にある彼らを知っておられ“出会われ”、癒された。癒された10人のうち、一人だけがイエス様のもとに戻り、ひれ伏して感謝をささげた。 […]
『主が報いられる』 エレミヤは、主に背き偶像礼拝に走ったイスラエルに、再三にわたって、主からの厳しい言葉を伝え続けたが、彼らは主に帰らなかった。その為彼らは、主からの懲らしめを受けねばならなかった。私たちも過去に、主から離れ自分勝手な道へ行ったが、悔 […]
『主に喜ばれる歩み』 イエス様を信じて‘救われたクリスチャン’と言えどもこの日本で生きていく以上、様々な仏教また他の宗教的な集いや風習に付き合う事を避けて通れない。また、飲酒などについても同じことが言える。 パウロは、偶像にささげた物を食べることや、 […]
『キリストの土台の上に』 昨年の教会の標語は、『完成を目指して進もう』で、乳を必要とする信仰の初歩から、前進することを目標とした。コリントの教会では、霊的に成長しきれていないために、争う者があったようである。 コリントの教会の人たちにみ言葉を語り、 […]
『聖徒の祈り』 旧約時代には、様々な礼拝の規定があったが、香をたいて、神様にささげる奉仕は、祭司にしか許されていなかった。それも(クリスマスのメッセージによく出てくるザカリヤは香を炊くクジに当たった)一生当たらない人もある。 捧げられる香は、高価な […]
『十字架の力』 政治の世界でいつまでも派閥争いが無くならないが、当時の教会の中にも、多少なりとも見うけられた。「私はパウロにつく」「私はぺテロに」と互いに争いがあった。私たちの間でも、「私はこの先生にお世話になったから‥」など、思ってしまう。 パウ […]