- 2012-11-25
- 2023-11-10
2012年11月25日礼拝メッセージの要約
『勝利の生活』 クリスチャンは、二人の自分があると言える。生れながらの自分とイエス様によって、救われ神様の性質にあずかる者とされた新しい自分である。しかし、救われたと言っても、古い性質と新しくされた性質のはざ間で、闘っているのも事実である。 信仰を持 […]
『勝利の生活』 クリスチャンは、二人の自分があると言える。生れながらの自分とイエス様によって、救われ神様の性質にあずかる者とされた新しい自分である。しかし、救われたと言っても、古い性質と新しくされた性質のはざ間で、闘っているのも事実である。 信仰を持 […]
『与える者の幸い』 ザンビアで『孤児院』を建築し、現地の子供たちのために働く日本人女性の証を読み、その捧げ尽くしておられる姿に感動した。私は、どれだけ捧げる歩みをしているか、反省させられた。 パウロは、困難の中で、多くを捧げ続け、もう会 […]
『幼子のように』 目の前の現実は、ほど遠いものであったが、宮を再建し、エルサレムに帰る回復の預言が語られる。老人たちが座し、子供たちが戯れている光景は、平和の到来を預言している。今の状態が、どうであっても、回復を約束された主は必ず成し遂げて下さる。 […]
『主を求める』 アモスは、牧者であり、いちじく桑畑をしている農夫でもあった。専門職の預言者として、専属していたわけではなかったが、彼は、主の召しを受け、職業を持ちながら、預言者として活動した。 当時、アッスリヤが弱体化している時であったので、平穏で、 […]
『信仰による義』 アブラハムが、‘すべての国民の父’と呼ばれ、大きな祝福を得たのは、神様の声を聞き、国を出て示される地に行った、その信仰によってである。『アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた』この […]
『罪の赦しの恵み』 パウロが、若い伝道者テモテにあてた手紙であるが、以前は、迫害さえしていた自分をイエス様は、救って下さったばかりか、福音の務めに任じて下さった事に強い感謝を表している。 ‘あわれみ’とは、‘恵み& […]
『イエスキリストのいやし』 口のきけなくする霊に取りつかれた子を、弟子たちは癒すことが出来なかった。彼らは、イエス様に悪霊を追い出す権威を与えられたハズであったが、出来なかったばかりか、学者たちと論じ合うことに気を取られていた。 イエス様は、目を向け […]
『より深く主を知る』 サマリヤの女は、人目を避けて、生活していたにも関わらず、イエス様と出会った事によって、人生が激変し、町へ出て行き人々に証しした。彼女の変わりようと、その言葉によって人々は、イエス様を信じた・ 彼らは、それだけではなく、イエス様を […]
『種をまく働き』 種まきのたとえの中で、良い地に蒔かれた種は、60倍、30倍と殖やされている。だから私たちの心を整えていただき、み言葉を聞く者とならなければならない。 ある意味において日本の伝道は、道端や石地のような困難さがある。だからと言って、「や […]
『栄光を帰する』 私たちの人生の目的は、神様と永遠に交わる事であり、神様に栄光を帰すことである。それは、罪人であった私たちを、イエス様の十字架をもって買い戻して下さったからである。 私たちは、主の十字架によって救われ、食物など様々な規定から解放され […]