「御霊の働きによって」使徒4:1〜22
イエスの名によって足のなえた男性をいやした奇蹟を目前にしながら、ユダヤ最高議会はペテロたちを逮捕しました。祭司や宮の守衛長は大祭司に次ぐ地位で、社会的にも政治的権力を持つ階級の人々です。彼らはモーセ五書以外、預言者も御使いも認めません。つまり死者の復活や聖霊による奇蹟は不都合なことで、宮の治安を司る彼らからすると、何の許可もなく神殿で民に教えることは忌々しき問題でした。「誰の名によってこんなことをしたのか」奇蹟の力の正体が、異邦人たちのあがめる「何々の神」という偶像の名前によって行われたことなら、ユダヤ人にとって神殿を汚す行為になります。しかしペテロは「病の人がいやされたことは良い事だ、良いわざについてなら罰せられるいわれはない」「あなた方が十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人キリストの権威によって、世の権威や死の力をも越える神の力によって」と答弁します。さらに、イスラエルでは奇蹟だからといって、それを行った者をみだりにあがめてはならないという律法があるので(申命13:1-3)ナザレ人イエスがキリストであるということを詩篇118:22を用いて「家を建てる者たちに捨てられた石が、家を支える大きな柱の下に敷く礎の石となった、あなた方が“捨てた”イエスを神はよみがえらせて永遠のいのちの救いの礎に据えられた」と論証しました。イエスを断罪して十字架刑で殺したことで問題は解決したと思っていたのに、そのイエスが復活したと弟子たちが言い広めたことで、事態はかえってややこしくなりました。ナザレのイエスがキリストであるということに矛盾があるならそこを追及したいが、弟子たちを論破することができず、かえって彼らの正しさを強調することに役立ってしまいました。ガリラヤの漁師たち、「無学な普通の人」が大祭司や律法学者ら宗教指導者に対して堂々と弁証したのです。聖霊が生きて働かれ、ペテロたちに知恵と勇気を授けられ、神の御霊に満たされたので語るべき言葉が与えられたのです。ユダヤ当局は「もうその名を唱えてはならない」と脅して釈放するしかありませんでした。
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