「エリの息子とサムエル」サムエル記上2:11~36
少年サムエルは「主にも人々にも喜ばれる者となった」とあります。一方、祭司エリの息子ホフニとピネハスは「ならず者」で、祭司という立場でありながら「心から主に仕えようとはせず」、捧げ物の肉を規定通りに煮たり焼いたりせず、自分たちの気に入るように搾取し、そのために時には暴力も辞さず、公然と神も人も嫌うことをしていました。主への供え物を軽んじるということは神のものを横領するということです。また幕屋に仕える女性と関係を持つなど、神をおそれる心が無い悪行ぶりでした。エリの家系はさかのぼると、モーセの兄アロンにたどり着く立派な祭司の家柄です。しかし息子たちはその権威をかさにきて律法をないがしろにし、信仰がない者と同じ振る舞いをしています。父親エリは息子たちを大目に見ていたわけではなく、容赦せず戒めますが彼らは聞く耳を持ちません。ついには神の人がエリの元に来て、「2人の息子は同じ日に死に、あなたの家系も衰える」と預言されます。祭司としても人の親としても子ども達に信仰を伝えることが出来なかったエリの失敗を、誰が責められるでしょうか。私たちも家庭において教育に失敗したと思うことはないでしょうか。しかし、ここから一つの真実を学びましょう。神は審判を進めつつも、救いも同時に備えられているということです。エリの家は苦悩の末路に立たされるが、決して絶えるわけではない、それは「私の心と思いの通りに行う忠実な祭司を立て、その家を確かなものにする」将来サムエルがエリの子孫の命をつなぎとめるというのです。ホフニとピネハスは神に対して犯した罪を、自らの死をもって償わなければなりませんでした。しかし私たちにはもう既に代わりに犠牲となって下さったイエス様がいます。主に執り成して下さるイエス様によって生かされていることに感謝しましょう。エリは家庭の教育はうまくいかなかったけれども、幼いサムエルはエリに託され、祭司として教え導くことをゆるされるのです。神がサムエルの教育者としてなおもエリを用いられたように、失望して投げやりにならず、今私にできることは何でしょうか?と祈りつつ歩みましょう。
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