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投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2012-07-27 18:55:31 (997 ヒット)
メッセージ

 


『仕える者の報い』

この記事は、‘僕に対して’の教えが書かれているが、‘キリストの僕’である私たちにも語られている。私たちが奉仕をする時、また助けを必要とする誰かに何かをしようとする時、「あの人に・・してもらったから」と言う事を基準にしやすい。しかし、聖書は、何事も人に対してではなく、主に対してするように」教えている。

マタイ25章の譬えに、見返りを求めず、愛を実践した人に王が、小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』と、主が再び来られる時、私たちに報いを与えて下さる事がわかる。

一般社会でも、『情けは人のためならず』と人に親切にするなら、天において主が報いて下さる私たちは、何においても主に仕えるように、奉仕をし、愛を行う者でありましよう。

                        コロサイ3:2224


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2012-07-21 11:19:04 (1098 ヒット)
メッセージ

『永遠なる方』


この≪伝道の書≫は、異説を唱える学者もいるが、ソロモンが書いたと言われている。ソロモンは、戦いの多かったダビデ王の時と違い、安泰の時代、通商や学問にも長けて、シバの女王も目を見張るほどの富も持っていた。‘世界一の幸福者’と言われていたソロモンがここで『空の空』と何度も書いている。結論から言うなら、神様を認めて生きなければ、『一切は空しい』と言っている。


自然界の様々な営みと同様、私たちの人生、良い時も悪い時も、その中を生かされている。だからこそ私たちは、永遠を思う思い、神を想う思いが与えられている。

イエス様が、私たちの罪を赦し、永遠のを命を与えて下さった。私たちは、喜びの時におおいに楽しみ、逆境の時には考え、主を中心に歩んでまいりましょう。       


                            伝道1:1217


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2012-07-13 20:07:31 (1146 ヒット)
メッセージ

『聖別された者』


私たちは、過去の罪からイエス様が十字架にかかられる事によって、あがない出され(買い戻され) 、聖別された者である。‘聖別’とは、世俗のものと区別して、きよめ、‘神のもの’とされている事を表す。

私たちが、聖別された者として、クリスチャン生活に求められているのは、情欲などを避け、慎み深く、信心深くあることであり、キリストの栄光の出現、また天国への望みを持ち続けることである。

聖別された者として、『あわれみの心、慈愛・・・を身に付けなさい(コロサイ3:12)』などと、み言葉はいろいろなところで私たちが、育成されて、み国を継ぐ道を教えている。

 そのためにも、み言葉を読みましょう。み言葉を理解する事が出来るように、聖霊が、その力も与えて下さるのです。   


                            テトス2:1114


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2012-07-06 14:56:20 (1112 ヒット)
メッセージ

 


『救いの感謝』

‘地に悪がはびこっていた’時に、神様は、大洪水により、人をぬぐい去られたが、ノアは、神様の一方的な選びによって、‘恵みを得た’。私たちがノアの立場であったらどうしただろうか?そんな事できない」などと言ったのでは、ないだろうか?ノアには、困難な事も含め‘すべて主が命じられたように’従う従順な信仰があったと言える。

災害などが起った時、人によっては、困難にある人たちを、裁くようなことを言う人がある。度重なる災害は、社会全体への警鐘であると、主の前に祈らなければならない。

私たちは、もともと滅びに向かっていた者であり、イエス様の十字架により、救いの中に入れられたことを、感謝しましょう。そして、まだ救われていないや困難に闘う人のために祈る者となりましょう。 


                            創世記7:6〜16


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2012-06-29 19:39:29 (1069 ヒット)
メッセージ

『主にゆだねる』


私たちは、いろいろな事に不安を感じ、心配をする。多くの場合、とりこし苦労であるが、高じると精神的に病んでしまう事さえある。

心配の原因は、私たちを守り、支えて下さる主を信頼しきれない私たちの弱さから来ることが多い。心配事、問題の解決のために、主を信頼しているけれども、持続する事が難しい。‘耐え忍びて主を待ち望め’と忍耐が必要の時がある事を教えている。忍耐の極致は、期待である。期待をするから、忍耐出来る。

この不安、心配、思いわずらいを「主にゆだねよ」と言われている。‘ゆだねる’とは、犁泙い播蠅欧覘畛を表す。心配をすべて主に‘マル投げ’し、聖書のみ言葉を握り、変わることなく働いて、助けて下さる主に期待をしましょう。

詩篇37:1〜9


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