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投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2013-04-05 13:49:49 (1148 ヒット)
メッセージ

『復活の主』


 イエス様が三日目に復活されたと言う事は、信仰なしに理解しがたく、仮死状態だったのではないか?と言う人たちもいる。しかしイエス様が十字架で亡くなられた事は、兵士たちが確かめた事であり、旧約時代から預言され、イエス様自身何度も預言されている。


主が復活されたことは、私たちにとって大きな意味がある。

1、神のみ子であり、今も生きて働いておられる事を証明している。

2、私たちの罪が葬られ、赦された新しい命によみがえらされた事を

 示している。

3、私たちも復活に与かり、永遠の命が与えられる。 

 私たちが、復活の主によって生きる時に、主は、様々な困難や戦いの中にも、力を与え、立ちあがるらせて下さる。いつも復活の主を仰いでまいりましょう。          マルコ16:1〜18


 


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2013-03-29 20:02:11 (1065 ヒット)
メッセージ

『われらの避け所』


十字架上のイエス様は、‘見せしめ’の意味も含まれているため、残酷な苦しみに耐えられた。共に十字架に架けられた犯罪者の一人は、始めもう一人と共に悪態をついていたが、十字架上でさえ、人をとりなすイエス様の姿に心が変えられ、「あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいる」と救われた。

 

イエス様の十字架の血潮は、私たちすべての者の過越しの血であり、私たちを罪なき者とするためのものであった。罪のゆえに裁かれるべき私たちを赦し、保護する所となって下さった。

 私たちの主は、あらゆるものから守って下さる方である。あらゆる危険や災いから守って下さるだけではなく、罪の誘惑や裁きの中からも盾となり、避け所となって下さる。だから、どんな時もこの十字架のイエス様を見上げて、日々を歩んでまいりましょう。 


                           ルカ23:3243


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2013-03-22 21:03:54 (1141 ヒット)
メッセージ

『十字架の力』


 イースターが近づいている。イエス様が私たちの罪のために、十字架に架かられ、よみがえられた…と言う事は、多くの人たちには、愚かなことと思われている。しかし私たちにとって、クリスマスと同じように大切なことである。


聖書は、神様の前に‘義人(正しい人)は一人もいない’言っている。自分は正しいと、収税人などを罪人として蔑んでいたユダヤ人指導者たちにとって、イエス様の教えは愚かなことであったが、イエス様は、罪を認め、「罪人の私をお赦し下さい」とへりくだる者が、神様の前に義と認められると言われる。

 自分の弱さ()を知っているからこそ、十字架の赦しの大切さがわかる。私たちは、十字架によって罪赦されていることを、しっかりと受け止め、私たちを赦し、生かして下さっている主に、感謝をして歩みましょう。              コリント118


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2013-03-15 12:43:13 (1050 ヒット)
メッセージ

『祈りの祝福』


イエス様は、神のみ子であられたが、人としてこの地上での生活の中で祈りも大切にされた。公生涯の始め、弟子たちを選ぶ時など、静かな所で祈り、充電するかのように、聖霊に満たされ祈られた。

私たちは、何のために祈るべきだろうか?私たちは、弱いから、誘惑に陥らないように、自分のために祈る事が大切である。また周りの兄姉のために祈る、と同時に敵のために祈るように、イエス様は命じておられる。そして、収穫(救われる人)のために、さらに働き人のために祈るように言われる。

 

 これらの事は、出来そうで、なかなか長続きはしない。2人3人が共に祈り、離れた所であっても心を合わせて祈る時に、主はそこにその祈りの中に居て下さる。また、聖霊が私たちの中に働いて、力を与え、祈りを導いて下さるから、事ごとに主に近づいて祈りましょう。    

            マタイ18:1820

 


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2013-03-06 19:29:28 (960 ヒット)
メッセージ

『恐れを取り去る主』


イエス様の偉大な奇跡を、目の当たりにした弟子たちも、水の上を歩いて来られた主を、幽霊だと思ってしまった。ペテロは、大胆にも水の上を歩くのが、イエス様だとわかると、‘水の上を渡らせてほしい’と願う。しかし風を見た途端に恐ろしくなり、溺れそうになる。

私たちは、まだ見たこともないものや未経験の事を恐いと思う。その最たるものは、‘死’ではないだろうか?ペテロも風を見て、その嵐の海の中に落ち込む事の恐怖に落ち入ってしまった。

 

 イエス様が乗り込まれた船は、穏やかになった。私たちの人生のどんな時にも、主が共にいて下さる事を忘れてはならない。主は、十字架に架かり、よみがえって、私たちのために場所を備え、

『世の終わりまで、あなたがたと共にいる』と約束して下さっているのです。     

          マタイ14:2233

 


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