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投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2016-02-23 14:27:14 (1067 ヒット)
メッセージ

『真の富』ルカ福音書12:13〜21
イエスは群衆に「貪欲に気をつけなさい。節度のない欲求、際限のない所有欲から身を守りなさい」と教えられ、【愚かな金持ち】のたとえ話をされました。
男は豊作で収納しきれない食糧をどうすべきか考え、大きい倉を新しく建設する予定を立てます。そして満足して自分に言い聞かせます「我が魂よ、安心せよ」。未来に対する備えは盤石かのように見えました。しかし、そのような彼に神が語りかけます。「愚か者よ。明日いのちを失えばそれは誰のものになるのか。」神は労働に対する報酬の実を否定されているのではなく、多くの財産、持ち物によって魂の平安を得られるのではないことを教えられています。生涯獲得数十億円と言われた元プロ野球選手が、金銭では寂しい心を満たすことができなかったように。
伝道者の書では「すべては空」だと言います。神を知らなければすべては空しい。あなたに時があるうちに神を知り(信じ)なさいと呼びかけます。ある哲学者は「人の心には神のカタチをした空洞があり、その空洞はただ神だけが満たすことが出来る」と言葉を残しています。魂の深いところでの神と繋がり【いのち】を得ることによって、本当の平安と満たしを得ることが出来るのです。神との関わりを回復するためにイエスは十字架によって贖われ執り成し、私たちにいのちを得させてくださいました。まことに得なければならない富とは、この【いのち】のことなのです。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2016-02-16 20:11:39 (958 ヒット)
メッセージ

 『隣人』 ルカ福音書10章25〜37節
イエスのもとに律法学者が来て、「永遠の命はどのようにして得られるのか?」と質問しました。イエスは「律法にはどう書いていますか」と問い返し、彼は申命記6章5節とレビ記19章18節を即答します。イエスは「その通り行いなさい」と答えますが、律法学者はさらに「私の隣り人とは誰のことですか」とたずねます。自分は既に同胞に対し親切や正しい行い律法を実践していると自負していたのでしょう。そこでイエスは例え話をされます。 エルサレムからエリコまでの道中、ある人が強盗にあい身ぐるみはぎ取られ、半殺しの状態で投げ出されていました。そこへ祭司、レビ人といった律法を厳守している立場の人達が通りかかりますが、関わり合いたくないとばかりに避けて行きました。しかし次に通ったサマリヤ人は気の毒に思って手当てし、その人を宿屋まで連れて行き、宿代も支払いました。ユダヤ人はサマリヤ人に対して宗教的な偏見と、歴史的な敵対感情を持っていました。しかしこのサマリヤ人は後で報酬を要求しようなどと考えず、見ず知らずの人のために自分が犠牲を払い、その場の介抱だけでなく宿に滞在する期間も支えようとしました。これが『自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ』で言われる無償の愛なのです。「〜しなければならない」という行為律法で考えると、とても高い倫理基準に「私にはできません」とひるんでしまいます。しかしイエス様は見返りを求めず私達を愛し、犠牲を引き受けて下さった上で「私に従いなさい」と言われました。この方を愛し、主と共に歩むことが永遠の命を生きる道なのです。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2016-02-04 15:15:53 (984 ヒット)
メッセージ

 『主が示される道』エレミヤ42〜43章
エルサレムが陥落し第二次バビロン捕囚の際、軟禁状態にあったエレミヤは解放され、バビロンに行くかユダヤに留まるか自由が与えられました。エレミヤはユダヤのミツパに残り、ネブカデネザル王によってユダヤ総督に任ぜられたゲダルヤを助ける道を選びました。しかしあくまでもバビロンに抗う人々もおり、その中でイシマエルはゲダルヤおよびバビロンの役人たちを殺害してしまいます。首謀者イシマエルは逃亡しますが、バビロンの怒りを恐れたユダヤ残党の将校たちはとりあえずミツパから南方へ逃亡します。彼らはこれから先どうすべきか主の御心を知りたがり、エレミヤは彼らの真剣な求めに対し誠実に神の御心を求め祈りました。人々が恐れとあせりで苛立ちながら待った10日の後、エレミヤに臨んだ神の言葉は「エジプトに行ってはならない、バビロンに服せよ」でした。彼らはエレミヤに相談する前からエジプトに逃れようと計画していました。その地で神のご加護があるという言葉を聞きたかったのでしょうが、神の御心は違っていました。神はバビロンに敗れる前から一貫して同じことを伝え続けていましたが、彼らの願いに沿う言葉ではなかったために、エレミヤを偽預言者扱いしました。彼らはエジプトなら安全だろうと逃亡しますが、後にバビロンは神の預言通りエジプトを徹底的に攻め滅ぼしました。結局、神の言葉に従ってバビロンに服していた者だけが生き残ったのです。自分の思いを遂げるために神の力添えを願うのではなく、神の御声に従う勇気が与えられるようにと祈り求めてまいりましょう。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2016-01-25 20:17:02 (994 ヒット)
メッセージ

『信仰と恐れ』エレミヤ書38章
聖書での表現上、“信仰”の対になるのは“不信仰”ではなく“恐れ”です。エレミヤの時代、国家存亡の危機に際して人は何を信じ、恐れたのでしょうか。エレミヤの預言は民衆の不安をあおり戦意をそぐとして、ゼデキヤ王の側近4人はエレミヤを捕え井戸に投げ込み閉じ込めました。エレミヤは宦官エベデ・メレクの進言により助け出されましたが、監視の庭に軟禁されました。ゼデキヤ王はエレミヤに神の御心をたずねますが、バビロンに降伏せよとの言葉に従うことができませんでした。親エジプト派の側近たちを抑えきれず、状況を変える決断が出来ないまま1年6ヵ月の籠城の末、エルサレムはバビロンに滅ぼされてしまいます。逃亡するも捕えられ、悲惨な末路をたどるゼデキヤ王。彼はいのちを得るか滅ぶか、信仰を働かせて選ぶことが出来たのです。しかし真に恐れなければならない対象を間違え、選択を誤ってしまいました。エルサレムの滅びは神の裁きでしたが、神はただ滅ぼすのではなく従う者に逃れの道もご用意されていたのです。憐みのゆえにいのち得よとおっしゃってくださる神に従い、困難な状況でも人に流されず決断できる勇気をいただきながら信仰の道を歩みたものです。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2016-01-20 19:57:43 (983 ヒット)
メッセージ

『預言のことば』エレミヤ書36章
エレミヤ書36章は預言がどのように記録されたか知ることができる資料でもあります。エレミヤが預言した言葉をバルクが書き記し、人々に読み聞かせていました。民衆に初めてエレミヤの預言が伝えられた時、祭司や首長達は怒り、王は預言者達の逮捕命令を下しました。26章からは同時期に預言していたウリヤはエジプトまで逃れたことが分かります。2回目にバルクがエレミヤの預言を読み聞かせていた時、群衆の中にいたシャファンの孫ミカヤは耳にした言葉に驚き、会議中の首長達に報告しました。イスラエルに連れ戻され罪人として殺されたウリヤの例もあるため、首長達はエレミヤとバルクには身を隠すように助言します。その上で王に預言を告げますが、王は読み上げられる巻物を小刀で切り取っては暖炉に投げ入れさせました。エレミヤ書はこのようにして一度焼かれてしまい、後日エレミヤが思い出すままに口述筆記させたため時系列が順不同となっていると考えられます。指導者の利己的な目的で聖書のある言葉は教えず、ある言葉だけを強調して恣意的な解釈で人々を操作しようとする惑わしは、昔も現代も行われています。聖書の言葉を切り取ることなく、全体を学ぶことから真理を理解し、霊的な健康が保つことができます。今年も神の言葉を片寄り無く学んでまいりましょう。


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