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投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2012-11-09 19:07:55 (1052 ヒット)
メッセージ

『主を求める』


アモスは、牧者であり、いちじく桑畑をしている農夫でもあった。専門職の預言者として、専属していたわけではなかったが、彼は、主の召しを受け、職業を持ちながら、預言者として活動した。

当時、アッスリヤが弱体化している時であったので、平穏で、イスラエルも比較的豊かであった。そのため、献げ物も豊かにささげてはいたが、心の伴わないものであった。主を忘れ、偶像に走る人々に、主は`わたしを求めよ、そして生きよ’と主を尋ね求め、主と共に生きることを求められる。

 私たちも日曜日が来たから、ただ何となく礼拝をしている時がある。主に心を向け、主を尋ね求めつつ礼拝を捧げたい。ただ当たり前のように、読んでいるみ言葉も、‘み言葉のききん’が来ると言われている。今のうちに、心を主に向け、主を尋ね求める礼拝をしましょう。                           アモス1:1〜2


 


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2012-11-02 19:22:29 (1060 ヒット)
メッセージ

 


『信仰による義』

アブラハムが、‘すべての国民の父’と呼ばれ、大きな祝福を得たのは、神様の声を聞き、国を出て示される地に行った、その信仰によってである。『アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた』この短い言葉で、アブラハムが、律法も割礼もない時の‘信仰によって’義と認められたことが表されている。

 律法や行いによって、歩もうとするなら、それを完全に守らなければならない。守り行わないなら‘のろわれる’とまで書かれている。アブラハムの約束は、彼の≪子孫≫であるイエス様に受け継がれ、十字架によって、信じる私たちに与えられている。

 

 立派な行いや奉仕が、信仰のバロメーターのようになってしまう時がある。≪ただ信仰のみ≫によって、救われ神の子とされている恵みに感謝いたしましょう。     ガラテヤ3:6〜18


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2012-10-27 18:18:07 (1032 ヒット)
メッセージ

『罪の赦しの恵み』


パウロが、若い伝道者テモテにあてた手紙であるが、以前は、迫害さえしていた自分をイエス様は、救って下さったばかりか、福音の務めに任じて下さった事に強い感謝を表している。

‘あわれみ’とは、‘恵み’の一部であり、その始まりとも言える。パウロは、無知であったゆえに罪を犯していたが、私たちも同じであったのではないだろうか?キリストに結びつく中で恵みを増し加わらせて下さった。  

 パウロは、自分を「罪人のかしら」といって‘罪人を救うためにこの世にきて下さった’主をそのまま受け入れるための、見本として表した。私たちも、赦された罪人にすぎない。弱さゆえに失敗する者であるし、完全なものでもない。しかし、あわれんで下さる主にしっかり結びつき、主の恵みを表す者となりましょう。   

                          テモテ。院1217


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2012-10-19 19:32:18 (1124 ヒット)
メッセージ

『イエスキリストのいやし』


口のきけなくする霊に取りつかれた子を、弟子たちは癒すことが出来なかった。彼らは、イエス様に悪霊を追い出す権威を与えられたハズであったが、出来なかったばかりか、学者たちと論じ合うことに気を取られていた。

イエス様は、目を向けるべきものが見えていない弟子たちや「もしできれば・」というこの父親の信仰の弱さを嘆かれる。イエス様が十字架に架かられたのは、人々が救われるため、癒されるためであった。私たちは、それをしっかりと見据えていなければならない。

 医学の発達で、これはどう考えたらいいのか?と思う事が有る。しかし、十字架に架かられた主は変わることなく、私たちの癒し主である。どんな時も「不信仰な私をお助け下さい」と主に近づく者でありたい。                       マルコ9:1429


 


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2012-10-12 18:56:53 (1131 ヒット)
メッセージ

『より深く主を知る』


サマリヤの女は、人目を避けて、生活していたにも関わらず、イエス様と出会った事によって、人生が激変し、町へ出て行き人々に証しした。彼女の変わりようと、その言葉によって人々は、イエス様を信じた・

彼らは、それだけではなく、イエス様を招き、2日間自分自身で親しく聞いて、自分の救い主として信じた。私たちもイエス様を信じた時、誰かの証しを聞いたり、勧められたりして、信じた。きっかけは、それぞれ違っていても、親しく主に近づき、より深く自分自身の救い主としてしっかりと、受け止めることが大切である。

 

 私たちは、サマリヤの女のように証しする者でありたいし、その人が、自分でさらに深く主を求め、信じる人になるようにと、とりなし祈る事が必要である。コンサートに来た人たちのために祈りましょう。

                              ヨハネ4:3942


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