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投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2013-02-22 21:19:42 (1009 ヒット)
メッセージ

『永遠の大祭司』


大祭司メルキゼデクと言う人が、ここ以外に何度か出てくる。その名前は、『正義』と言う意味を持ち、詳細は、わかっていない点が多いが、サレム(平和の意)の王であり、優れた祭司でもあった。

律法が成立するはるか前に、彼は、アブラハムから捧げものを受ける立場にあった。そのメルキゼデクに等しい方であるイエス様が、私たちが神様に近づくための、永遠の大祭司となって下さった。

 イエス様は、人である祭司のように、自分の罪のためにまずささげ物をしたくても良い、罪、汚れのない方である。死によって務めが終わる事もない。ご自分の十字架の血により、一度きり完全な捧げものをして下さった。私たちは、イエス様により、完全で、永遠の方法で、神様に近づく道が備えられているのだから、感謝して、さらに主に近づいてまいりましょう。       ヘブル7:26〜28


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2013-02-13 16:46:15 (1079 ヒット)
メッセージ

『主の弟子である事の基礎』


 私たちは、思わず「主よ!」とクチ走ってしまう事がある。悩みや問題の時、主の名を呼び祈る事は、大切であるが、単に口癖のようになってしまってはいないだろうか?そこに主への思いも信仰も無ければ、たとえ‘多くの力あるわざを行った’としても、不法を働く者と扱われてしまう。


私たち主を信じ、弟子として歩む者の基礎は、主のみ心に従う事である。主のみ心に従う事を土台にして、主の働きをすることで、実を結ぶことが出来るのである。その人が良い弟子であるか、どうか…その実によってわかる、と書かれている。

 

「主よ主よ」と言うばかりでなく、み言葉に従い、み心を行う者でありたい。そして、‘完全な者になりなさい’と言うみ言葉には、程遠い私たちであるが、イエス様により赦され、少しでもイエス様に似た者として、歩む者としていただきましょう。

                            マタイ7:21〜29


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2013-02-08 18:53:27 (1027 ヒット)
メッセージ

『命のパン』


 偉大なみ業をみたユダヤ人の中には、イエス様がイスラエルを復興してくれると期待する者があり、またイエス様を信じるための業を求める者もあった。


イエス様は、モーセの時代に荒野で天から神様がマナ(パン)を降らせたように、ご自身が‘天から下ってきたパン’であると言われた。それは、イエス様が私たちすべての者の罪のために、十字架の上で裂かれる事を表し、また信じる者に‘永遠の命’をあたえる命のパンでもある事を意味する。

 

私たちは、日々生活の中で、飲食しそのために、働いている。しかし、霊的な命のことを忘れてはならない。3度の食事が大切なように、‘たましいの食事’が必要である。イスラエル民が日毎に、マナを集めたように、私たちもみ言葉を読み、日々の祈りの中に、主と交わり‘命のパン’を頂きましょう。

                     ヨハネ6:3040


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2013-01-31 18:46:51 (983 ヒット)
メッセージ

『天国を学ぶ学者』


私たちの与えられている救いは、どれほど尊いものでしょうか?イエス様が譬えられた‘良い真珠’や‘畑に隠した宝’のように、持ち物を売りはらってでも、手に入れたくなる…価値のあるものと思っているだろうか?

イエス様は、私たちを十字架にかかる程に愛して下さり、救いの中に入れて下さった。しかしユダヤ人や律法学者たちは、古い教えに凝り固まって、イエス様の救いに目を向けようとしなかった。

 

天国の事を教えられた私たちは、イエス様が命さえ捨てて、与えて下さったこの救いを、教えを、大切に持ち続けたい。み言葉により、祈りによって、キリストに繋がることで、ひとりよがりの信仰にならないようにしたい。

また、私たちの与えられているこの救いを隠しておくものでなく、家族や友人に伝える者となりましょう。  

                     マタイ13:4452


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2013-01-25 18:49:27 (1029 ヒット)
メッセージ

『忍耐の秘訣』


 ここまで、信仰の未熟さなどを指摘する厳しい事が書かれていたが、一転愛する者たちよ’と、これまでクリスチャンたちが、使徒など、主の働き人や貧しい人たちに施して来た愛の業を、主は覚えて、喜んで下さっていることが、語られる。


私たちは、信仰を持ち続けるために、熱心に奉仕など、主に仕え続けるために、忍耐が必要である。それは、ただ受動的に‘がまんする’と言うようなものでなく、私たちに与えられている希望を確信を持って勝ち取っていく忍耐である。

神はアブラハムが、約束のものを得るために、さらに誓いを立てられた。私たちにも、主はイエス様という‘いかり’を通して、揺るぐことのない約束を与えて下さっている。十字架を通して与えられた望みは、不動である。どんな時も、主を見上げてまいりましょう。       

                      ヘブル6:9〜20


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