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投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2015-10-17 23:55:48 (1096 ヒット)
メッセージ

『救い出される主』 使徒行伝12章
ヘロデ王《ヘロデ大王の孫アグリッパ1世》は皇帝に取り入り支配領土を祖父の頃までに広げました。彼はユダヤの人々の関心を買うためキリスト者に目を向け、その指導者の一人であるゼベダイの子ヤコブを殺害しました。民衆が喜ぶのを見て次の標的をペテロに定め、逮捕し牢獄に入れました。ペテロにとって3度目の逮捕は国家権力によるものでヤコブの前例もあり、状況は絶望的です。教会の人々は熱心に祈りましたが、当のペテロは主の平安の内に牢獄で眠っていました。主は御使いを遣わされペテロを起こし、厳重な警備の中から助け出されます。ペテロは最初状況が呑み込めず幻か現実なのか分かりませんでしたが、御使いが去った後、主が助けてくださったのだとはっきり分かりました。そして教会の兄姉に救い出されたことを告げ知らせ身を隠しました。ヘロデ王はペテロを捜しましたが見つけられず、番兵に責任を取らせました。その後、ヘロデ王は主に打たれ死にました。ヤコブとペテロの人生が違ったように、主は一人ひとりに違うご計画と役割を用意され、滅びから救い出してくださることを覚えましょう。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2015-09-20 20:35:33 (1145 ヒット)
メッセージ

『すべての人の救い』 使徒行伝10章
ローマの百卒長であったコルネリオは、ユダヤ人にとっては支配側でありましたが主を信じ、いつも施しや祈りをしていました。そのコルネリオに神は御使いを遣わし、ペテロとの出会いをご用意されました。ペテロが見た幻の中で、旧約聖書の規定ではけがれたものとされている生き物を「神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない」と神は言われました。イエスはどんな食物でもきよいものとされました(マルコ7:14〜20)。ペテロは未だユダヤ人の習慣の中で生きていたことを食べ物に象徴され示されたと気づきます。クリスチャンとなったユダヤ人でも異邦人の救いに関して宗教的偏見を拭い去ることが出来ずにいました。人は歴史的経過の中で様々な差別を生み出してきましたが、神は全ての人を偏りなく救おうとされています。ペテロは主イエスの十字架と復活、彼が救い主であることを彼らに説きました。するとコルネリオたちは聖霊に満たされたのです。ペテロは聖霊の促しに従い、異邦人の救いのため用いられました。福音を委ねられた私たちもイエス・キリストをどんな人にも証ししていくことが出来ますように。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2015-09-13 23:57:13 (1176 ヒット)
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『キリストとの出会い』 使徒行伝9章1〜22節
サウロの先祖はサウル王を輩出したベニヤミン族であり、正統なユダヤ人であるだけでなくローマ市民権を持つ父のもとに生まれました。アテネ、アレキサンドリヤに次ぐ当時の学問都市タルソで育ち、更にエルサレムへ留学し、その時代の高名な学者ガマリエルのもとで学問を積んでいたところ、ナザレのイエスを信奉する一派がいることを聞きました。秩序を乱す集団を一掃することは神の御心であるという信念のもと、キリスト者を迫害することに血眼になりました。キリスト者を縛り上げてエルサレムへ連れていき処罰しようと息巻いてダマスコへ向かっている途上、突然天からの光が満ち、キリストの声を聞きました。当時、旧約聖書を熟知していたであろう厳格なユダヤ人でも、神が約束された救い主はイエスキリストである、ということに結びつけられませんでした。サウロもキリストと人格的に出会うことによって真理に目が開かれました。そして彼の情熱的な性質はそのまま福音を宣べ伝えるために活かされました。主イエスが彼の生きるべき道を正されたのです。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2015-09-09 06:16:06 (952 ヒット)
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『アブラハムの死』 創世記25章
アブラハムはサラを葬った後、再び妻をめとり晩年に6人の子供を授かりました。彼はその子供たちにもそれぞれに財産を分与し、イサクから遠ざけて相続争いが起こらないように配慮しました。そして神の祝福の継承者として、霊的な財産も彼に属する全てをイサクに与えました。アブラハムにとって子どもはみな等しく大切な存在でしたが、自分の死後に混乱がないよう父親として出来る限りのことをしました。死は私たちから全ての意志も行為も奪い去ってしまうと思うと、空しさや寂しさに襲われます。死を前にして人は無力ですが、神と共に誠実に歩む人生の中で、人の思いを越えて神の業があらわされるのです。アブラハムの亡骸はイサクとイシマエルが共に葬り、決裂していた家族を神は回復して下さいました。これまで信仰の父アブラハムの生涯を見てまいりましたが、彼も欠点が無かったわけではありませんでした。しかし神の約束に立ち続けることで祝福の担い手として用いられ、平安な死を迎えることができたのです。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2015-08-31 21:17:07 (949 ヒット)
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『約束の地』 創世記23章
アブラハムが幼い頃から苦楽を共にした生涯のパートナー、サラが死にました。神の約束を共ににぎっていた大切な妻を葬るための土地を、ヘテ人から購入しました。寄留者は土地の所有をゆるされていませんでしたが、衆人の目前で購入したことでアブラハムは正規にカナンに所有地を得ることができました。サラの墓所となる小さな地ではありましたが、「この地を与える」という神の約束の実現への前進でした。銀400シケルは決して安くはありません。値引き交渉するなどもっと賢く振る舞うことが出来たかもしれませんが、アブラハムはそれを行いませんでした。後にアブラハム、イサク、ヤコブもこのマクペラに葬られました。やがてその地も所有権は時代と共に変遷していきますが、約束が成就されるのを見届けなくても、すでにアブラハムは「揺るがぬ土台に建てられた都」「天にあるふるさと」に目を向けていたのです。アブラハムにとって妻サラの死は悲しく痛ましいものでしたが、そこから神の約束の第一歩が始まったのです。


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