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投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2015-05-05 21:58:20 (958 ヒット)
メッセージ

『イエスのカウンセリング』 ヨハネ21章1〜19節
イエスにつき従っていた弟子たちは、生まれ故郷のガリラヤに帰っていた。復活の主に出会い、自分たちが尊敬していた先生はまことに神の御子であったことを知った。しかし彼らは自らの愚かさ弱さ至らなさを思い知り、住み慣れないエルサレムを去って生活の糧を得るため以前の漁師の仕事をしていた。そんな傷心の彼らに親しく声をかけられるイエス。しかし彼らは心に様々な思念の覆いが掛かってイエスだとは気付かない。「網をおろしてみなさい」大漁の奇蹟を通して、声をかけられたのがイエスだと気づく。
ペテロに3度「わたしを愛するか」と質問するイエス。「あなたがご存知です」「わたしに従いなさい」このやり取りの中に「受容」と「信任」弟子たちの霊性の回復のプロセスがあった。主を知らないと言って逃げた弟子たちをイエスは赦され、各人の個性に合わせて関わられ、励まされた。そして再び世に遣わされた。弟子たちを突き動かしたもの。それは赦され受け入れられ愛された者が持つ喜びであった。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2015-05-05 21:55:41 (886 ヒット)
メッセージ

『ともにおられる主』 ルカ24章13〜32節
 エマオに行く途上、エルサレムであった出来事について話あう二人。彼らはイエスを力ある預言者だと信じ、ローマからイスラエルを解放するのはこの方だと期待していた。しかしイエスが殺されたことでその望みは絶たれ、落胆していた。
 二人はイエスに話しかけられても、それがイエスご自身だとは気付かなかった。自分達の理想とする政治的なメシヤ像と、イエスの来られた真の目的との不一致が、彼らの心の目を覆っていたからだ。二人にイエスは聖書全体からキリストについて書かれてある事柄について説き明かされた。イエスが彼らの泊まる家に入られ食卓につきパンを取り祝福して割き彼らにわたされた時、彼らの目が開かれイエスだと分かった。
 私達は自分の思いや願いが、神様のご計画を理解する妨げとなっていないでしょうか。キリストの栄光にかかわる福音の光が私たちの心を照らし、私達とともに歩み語りかけてくださる主イエスをもっとよく知ることができるように祈りましょう。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2015-05-05 21:47:56 (989 ヒット)
メッセージ

『平安あれ』ヨハネ20章19〜23節
「信仰」の対義語は「不信仰」ではなく「恐れ」である。弟子たちは、イエスと同じように自分たちも捕えられ殺されるのではないかと恐れ、戸を閉めて息を殺し潜んでいた。不安や恐れ、様々な思念に囚われていた彼らを一変させたのは復活のイエスだった。
「平安あれ」イエスは弟子たちに声をかけられ、受けた傷を見せ、ご自身であることを現された。イエスの言う「平安」は神との関わりの中で与えられる満ち満ちた状態である。「私はあなたがたに平安を与える。あなたがたは心を騒がせず、恐れるな。」
ご自身で預言された通りよみがえられ栄光の姿を現されたイエスは弟子たちに「わたしはあなたがたを遣わす」「聖霊を受けよ」と言われた。私たちも主の平安を受け、罪の赦しと神との交わりの回復から来る喜びを分け合うため福音を携え世に出ていこう。      


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2015-04-16 23:26:12 (1017 ヒット)
メッセージ

『誰を捜しているのか』ヨハネ20章11〜18節
 イエスの十字架による死から三日目の週のはじめの朝早く、イエスの墓が空になっているのを見たマグダラのマリヤは悲しみに沈んだ。愛する主の遺体がどこにも見あたらないからである。
「誰を捜しているのか」と問われた時、彼女はその人を墓の管理者だと思っていた。何故、すぐにイエスだと気づかなかったのか?(死人が復活するなど)ありえない、という思い込みは真実から目をおおってしまう。「マリヤよ」と生前と同じように親しく語られた時、彼女の心の目は開かれ、それがイエスだと分かった。
「いつまでもここで私にすがりついてはいけない、他の兄弟達の所へ行って、このことを告げ知らせなさい。」失意の内にあった彼女は喜びながら墓を出て行った。「私は主を見ました。」主の復活の最初の目撃証言者となったのである。私達も主の復活を信じる時、聖書を理解する力が与えられ、悲しみが喜びへと変えられるのである。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2015-04-16 23:19:55 (1032 ヒット)
メッセージ

『十字架による赦し』ルカ23:32〜49
 十字架を背負いゴルゴダの丘を上るイエス。刑場に向かっていくイエスを人々はあざ笑った。イエスに関する出来事は、彼の死でもって終わると人々は思っていた。
 しかし、肉体の滅び=死ではない。罪による神との関係性の断絶、それが死なのだ。〈永遠のいのち〉〈天の御国〉とは時間的、場所的なものだけではなく神との関係性のことを指している。神殿の幕が裂けたのは、神と人との隔てが取り除かれ、神との関係性の回復を象徴している。「完了した」イエスを信じる者は罪赦され、永遠のいのちにあずかるという神の御心が成就したのである。
 今でもイエスに対する多くの人々の反応は、〈自分には関わりがない〉〈むしろ関わりたくない〉だ。私たちは神の悲しみとイエスの痛みを知ろう。そして人々が十字架の贖いを信じることによって神の御もとに帰ることを祈ろう。


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