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投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2013-12-13 19:56:12 (1350 ヒット)
メッセージ

『ザカリヤの賛美』


 ザカリヤは、年老いた自分たち夫婦に子が生まれると言う、驚くべき天使の言葉を、にわかに信じられなかった。しかし、ザカリヤとエリサベツ、そしてマリヤもそれぞれに、自分の身に起こった事を感謝して受け止めて、神をほめたたえている。

神様は、すべての人の罪をきよめ、救って下さるため、アブラハムの時より約束されていた契約を実現して下さり、生まれたヨハネは、‘罪のゆるしによる救をその民に知らせる’ために、また道を備えるために用いられた。

イエス様は、私たちの罪を赦すために、十字架に架かるために生まれて下さった。私たちは、主の赦しを信仰を持って受け止め、主のみ前に恐れることなく感謝し、‘生きる限り清く’主に仕える者としていただきましょう。

                            ルカ1:5780


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2013-12-05 19:16:37 (1325 ヒット)
メッセージ

『へりくだった姿に』


 人が集まっている所には、大なり小なり問題が起る。たとえクリスチャンと言えども、救いを受けた罪人に過ぎないから同じである。パウロは、ピリピの教会の人たちに、『キリストによる勧め愛の励まし・・・とが、いくらかでもあるなら』一つとなるように勧める。

 クリスマスは、イエス様が生まれて下さった喜びの時である。創造主であり、永遠の神、無限の神であるイエス様が、来られると言う事は、すべての特権を捨て、様々な制限を受け入れ、へりくだった姿となって下さった事を意味する。

 イエス様が生まれて下さった事によって、私たちの救いの働きがスタートした。私たちは、人との関わりの中で、イエス様を模範とし、へりくだって人を自分より優れた者として受け入れる時、関係も改善するのではないだろうか。イエス様に倣う者となりましょう。 


                             ピリピ2:1〜11


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2013-11-29 20:46:47 (1356 ヒット)
メッセージ

『眠りから覚めて』


 世の終わりが近づいている…だから、私たちは、‘愛し合う’こと以外に、互いに負い目がないようにするように、パウロは、勧めている。しかし、愛し合う事は、もうこれでいいと言う事はない。

 「まだまだ、あきません」と自分の信仰の未熟さを言う人がある。私たちが、主を信じて救いの恵みを頂いた時より、‘眠りからさめるべき時が、すでにきている’と、時は縮まっている。夜明け前の、もっとも暗い闇の時代に生きる私たちは、闇のわざを脱ぎ捨てて、罪や誘惑と戦うべく、目を覚まして光の武具を身につけなければならない。

 私たちは、イエス様の血潮によって、救われ、キリストを着て、主の肢体の一部とされている。肉の誘惑に負ける事無く、栄光から栄光へ主と同じ姿に変えられるまで、しっかり主に信頼し、聖霊に助けられながら、歩みましょう。     ローマ13:8〜14


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2013-11-22 19:32:35 (1369 ヒット)
メッセージ

『クリスチャンの祈り』


 ヤコブは、教会が成長するつれ、おろそかになりがちな実践的な事を教えた。そのまとめの部分。主が再び来られるまで、信仰を持ち続けるには、忍耐が必要である。これまでの預言者やヨブの忍耐を例に挙げて励ます。

 ‘苦しんでいる者があるか…喜んでいる者があるか’といろいろな状況の中で、どんな時にも、主の前に出て、心を向ける事を勧めている。それは、イエス様が十字架を通して、備えて下さった道である。そして、病いの者のために祈り、互いに罪を告白しあって、関係を修復するように教える。

 神を敬い、み心を行う者≪義人≫の祈りは、大いに力がある。と言われている。困難もあるかも知れないが、主が来られるまで忍耐を持って、主に従い、どんな時も主に期待して、近づいて祈る者でありましょう。        ヤコブ5:7〜20


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2013-11-15 20:53:21 (1342 ヒット)
メッセージ

『次の世代に』


 歴史の中でイスラエルの民を神様がどのように導いて来られたか、それに対して民はどれほど逆らっただろうか?主は、先祖たちが、陥った罪を避けるように、主にのみ信頼して歩むように、祭などを通して、子孫に語り継ぐように教えている。

過越しの祭の中で、鴨居に塗られた血によって、エジプトから解放された事を、仮庵の祭では、苦しかった荒野の旅を表し、その家族たちに、それらの祭の中で、彼らの信仰を語って聞かせた。

しかし、イスラエル民たちは、祭さえしていたら良い、という形だけの信仰に陥っていった。それは私たちにも言えないだろうか?礼拝にさえ出ていたら、献金さえしていれば良いという形ばかりの信仰姿勢になっている事がある。真実に主を見上げて歩む姿勢を、子供たち、孫たちに、見せ語り継ぐ者でありましょう。

                            詩篇78:1〜8


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