アーカイブ | RSS |
投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2020-05-29 15:30:56 (34 ヒット)
メッセージ

「父の約束を待て」使徒行伝1:6〜12
復活のイエスは天にあげられるまでの40日間、神の国について語られました。十字架での死、そして復活は神のご計画であったことを、聖書を通して教えられました。またご自身が生きておられることを決定的証拠によって示され、信じる者たちに確信を与えられたのです。復活のイエスと共に過ごすことができたのは信じ、選ばれた者の特権です。弟子たちの中には「イスラエルが再興されるのはこの時ですか」とイエスにたずねます。政治的メシアとイスラエルの再興を渇望していた彼らにとって、時節到来かのように喜び勇んだことでしょう。しかしそれは彼らの願望であって、神の御心は違うところにありました。イエスは彼らに「父の約束を待ちなさい」と命ぜられました。父の約束すなわち真理の御霊によるきよめと満たし、聖霊が下るのを待つようにと。あなたがたの関心と天の父が行おうとしていることは違う、と示されたのです。聖霊が下る時、『あなたがたは力を受ける』。士師記やサムエル記で神の御霊におおわれる時、別人のようになると表現されています。信仰による勇気、常時の自分には考えられないような力が与えられ、『(キリストの)証人となる』。人生を左右する決断をする時、迫害に恐れる時、聖霊によって信仰の勇気が与えられたのです。今日も生きて働かれる聖霊の導きに信頼し、キリストの証人として福音を伝えてまいりましょう。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2020-05-29 15:26:58 (31 ヒット)
メッセージ

「主が彼女の心を開かれた」使徒行伝16:13〜15
パウロはシラスたちと一緒にトルコ地方を伝道するつもりでしたが、主が行く道を2度おしとどめ、3度目には夢の中でマケドニア人が出て来たので、海を渡りマケドニア(ヨーロッパ)で伝道することを決めました。最初に滞在したピリピという町は、ローマの軍事的衛星都市でした。繁栄した都市でしたがピリピにはユダヤ人会堂がなく、ユダヤ人たちは川岸で祈りをささげていました。そこでユダヤ教に関心を持つルデヤという異邦人の女性と出会います。ルデヤはテアテラ出身の紫布を商う女性実業家でした。当時の紫衣は高価なもので、王侯貴族か大金持ちしか使えない、権威や富の象徴でした。今でいうなら高級ブランドを扱う女社長といったところでしょうか。神を敬う裕福なこの女性はパウロの言葉を心に留め、彼女もその家族全員がバプテスマを受け、彼らを自宅へ招きました。そして鞭うたれ、投獄されたパウロとシラスが釈放されると、ルデヤは再び自宅を開放し、保護しました。パウロたちはその後ギリシャ半島を下り、テサロニケ、アテネ、コリントへと宣教の働きを広げていきました。この使徒たちに、経済的な援助を送り続けたのはピリピ教会でした。マケドニアの伝道は、主の導きによるものでした。その宣教活動を物心両面で支えていたピリピ教会の存在、またルデヤという一人の敬虔な女性の信仰が使徒たちを励まし、なぐさめとなったのです。神の言葉に心を開いたルデヤは、神の働きのために用いられ、彼女も彼女の家族も救われたのです。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2020-05-15 10:24:01 (53 ヒット)
メッセージ

「聖書を悟らせるために」ルカ24章44〜53節
弟子たちが主イエスのよみがえりの証人となるために、イエスはキリストの受難と復活を聖書全体(律法・預言書・諸書)を通して解き明かされました。イエスが十字架にかけられるという苦難も、死からよみがえらた奇蹟も、神の思いつきや気まぐれで突然起きた出来事ではないのです。はるか昔からすでに聖書に予告されていた、神の救いのご計画だったのです。また聖書の御言葉を引用して説明されたのは、聞く者が真理の御言葉の上に信仰を建て上げるためです。人の良心を拠りどころとする信仰は、時代や地域、文化により変化し、また感情の上に建てれば常に浮き沈みがあることでしょう。しかし聖書の御言葉は昔も今も変わらず、国や言葉を越えて一つの真理を示し続けるのです。信仰は、永遠に変わることのない御言葉の上に建てるべきです。イエスは、信じる者が聖書の証人となるため御言葉を尽くして語られ、神の御心(意図・目的)を聖書から悟らせようとされます。主なるイエスは私たちに語りかけ、過去の出来事(十字架によるあがない、預言の成就)を納得させ、現在の出来事(キリストの復活、試練の時も主が共におられ脱出の道を備えて下さる)に安心を与え、未来の出来事(死の向こう側にある復活、永遠のいのち)に希望を与えられます。イエスの目的は、信じる者が聖書の証人となり、福音を伝えて行く者となることです。助け主である聖霊は主イエスの教えを思い起こさせ、真理を悟らせて下さいます。聖霊の助けを求めながら、イエスの教えと神のご計画を知り、御言葉の上に信仰を建て上げてまいりましょう。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2020-05-09 08:33:34 (51 ヒット)
メッセージ

「平安がありますように」ルカ24章33〜49節
コロナ感染対策は各国の指導者の対応により明暗が分かれています。日本でも自粛要請に応答するか否か、与えられた自由と負うべき責任の中で、各自がどう動くのかが取りざたされています。どのような判断が個人にも共同体にとっても有益なのか、各人が置かれた状況はそれぞれなので判断が難しいのですが、自らが審判者のように他者を断罪するような振る舞いは避けたいところです。イエスの十字架の際、受難予告に「死までお供します」と宣言しておきながら3度イエスを否認したペテロは、復活したイエスに厳しく叱責されたかというとそうではなく、福音を伝える者として立ち上がるため何度も働きかけられ、後に初代教会のリーダーとされました。復活し弟子たちの前に現れたイエスは「シャローム:神の平安があるように」と挨拶されました。実体のない幽霊だ、と驚き恐れる弟子たちに「足を見なさい、手に触れてみなさい」と触れされ、共に飲食もしてみせました。私たちの肉体は疲れ、病気になり、やがて死ぬのですが、復活の朝には朽ちない体へ、栄光の姿へ変えられるのです。福音を聞いてどう応答するか、信じるか信じないかは各自の自由ですが、復活のイエスは人が信じて救われるために積極的に関わり、永遠のいのちの希望と、信仰を与えてくださるお方です。復活の主は決して理想的な信仰者、模範的な人間の前に現れたわけではありません。弱い女性たちに、絶望していたクレオパに、疑い深いトマスに、クリスチャンを迫害していたパウロに現れ、彼らを信じる者と変えて行かれたのです。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2020-05-01 05:52:01 (58 ヒット)
メッセージ

「私たちの心は燃えていたではないか」ルカ24:13〜35
決めつけ、思い込み、偏見など誤った情報に基づく先入観は判断を間違えさせます。イエスは十字架に付けられ殺された、生きているはずがない。「イエスがよみがえられた」と告げられても信じられず、愚かな話として聞き入れません。弟子たちでさえも復活を信じるためにはイエスの顕現が必要でした。自分たちの計画・願望を優先すると、必要な時に判断が遅れることや間違えることもあります。イエスに政治的メシアを期待していた人々は、イエスは処刑され葬られたことによって失望のどん底にいたのです。彼らのイエスに対する期待の大きさが、イエスを失った絶望の深さです。クレオパたちは共に歩き、話をしている相手がイエスだと分かりません。しかし分からなかったとはいえ、メシアは殺され葬られ、よみがえられるとイエスご自身から聖書から解き明かされたことは、彼らにとって幸いなことでした。イエスに期待する者は絶望のままでは終わりません。彼らは心が燃やされ激しい真理に対する飢え渇きから、まだ先に行こうとするイエスを引き留めます。そして食事の際、パンを分けられたところでイエスだと気づくのです。知識と経験そして信仰が結び合わされた瞬間でした。これらが結び合わされる時、心の目は開かれるのです。


« 1 (2) 3 4 5 ... 88 »
ID : Pass :