アーカイブ | RSS |
投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2013-09-27 19:50:57 (1459 ヒット)
メッセージ

『神の友』


 ヤコブは、‘信仰があると称していても、もし行いがなかったら、なんの役に立つ’のか?厳しい問いかけをしている。困難の中にある人に、「祈っています」と言うだけで、自分のできる手助けもしないなら、本当にその人を愛している、と言えるだろうか?

パウロは、‘信仰による義’を何度も語っているが、ヤコブの主張している事と、矛盾してはいない。パウロの語るのは、ただ信じるのみと言う信仰の入り口であり、ヤコブの語るのは、義とされて生きるクリスチャン生活である。

信仰か、行いか?のどちらかではなく、信仰の果実が‘行い’である。イエス様は、ただ奇跡に集まった人、に多くを知らせなかった。しかし主に従ってきた弟子たちには、主のみ心を教え、ご自身の‘友’と呼ばれた。主を信じ、従う私たちを主は、友と呼んで下さるのです。      

                        ヤコブ2:1426


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2013-09-20 20:51:17 (1499 ヒット)
メッセージ

『まことの礼拝』


 私たちがささげる毎週の礼拝は、『安息日を覚えて、これを聖とせよ』と言う十戒が基礎になっている。しかし、ただ‘そこに座っている’と言う形だけになっていないだろうか?

サマリヤの女は、イエス様に礼拝の場所について尋ねた。相容れない関係にあったユダヤ人とサマリヤ人は、それぞれの場所で礼拝していたが、場所や形式にとらわれ、真理に心が向いていなかった。イエス様は、「神は霊であるから、霊とまこととをもって礼拝すべきである」と、心からまことの礼拝をする者を求めておられる事を、またイエス様を通してその時が来ている事を教えられる。

 私たちは御霊により、新しくされた者である。これからの生涯、何度、礼拝を捧げるだろうか?いつも神様がここにおられる事を意識し、霊とまことをもって神様に近づきましょう。         


                           ヨハネ4:1926


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2013-09-13 19:17:14 (1402 ヒット)
メッセージ

『自由の律法で』


 成熟したクリスチャンとして生きるために、ヤコブは、この書の中で何度も‘わたしの兄弟たちよ!’と呼びかけ、兄姉愛の実践を勧める。栄光の神を信じる私たちが、教会内で外見や身なりで差別することがあってはならない。

「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」は、‘王の律法’とも言われ、最高の律法であり、イエス様も一番大切な事と教えられた。これが全世界で守られたなら、戦争が無くなるのではないだろうか?実際、私たちは、身近な人も愛せなくて、苦しむことがある。

 律法で裁かれるなら、私たちはすべてを守り徹さなくてはならず、救いから遠い。しかし、私たちは、イエス様の十字架により与えられた、自由の律法によって生きている。罪が赦され、あわれみを受けた者として、喜び感謝し、弱さのある人とも共に生きる事が出来るのです。                       ヤコブ2:1〜13


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2013-09-06 19:53:15 (1547 ヒット)
メッセージ

『主の僕イエス』


 片手の悪い人を安息日であっても、羊より優れたものと癒された事は、この章のはじめの記事も含め、‘安息日問題’に発展し、彼らはイエス様を殺そうと相談する。イエス様は、それを知って去られた。

 ここはイザヤ書42章の中にも、主の僕としての預言がされている。それは、神の使命を全世界に果たすために、神が支持され、選び、喜ばれ(心にかなう)、その霊を与えられたイエス様の姿が表されている。

 世界ではいろいろな紛争がある。しかし、イエス様は、僕としての使命を全うするために、決して争わず、叫ぶ(絶叫して相手を威嚇する)ことなく、弱い者一人一人を顧み、異邦人に至るまで、望みに生きるように、あがないを全うされた。私たちは、この恵みに感謝すると共に、イエス様のように、争うことなく、弱さの中にある人たちを覚えて、祈り、助ける者となりましょう。       マタイ12:9〜21


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2013-08-30 20:43:36 (1506 ヒット)
メッセージ

 


『み言葉をみつめて』


 私たちは、主に愛されている者であり、主が変わることなく、私たちに良いもの、完全な賜物を与えて下さる方である。

 「そんなに怒る事でもなかったのに…」と反省する事がある。神の愛によって新しく生まれた者として、知っておくべき事は、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくと教えている。真意を理解しない先に、口を出したり怒ったりせず、いち早く主のみ心を知り、語る者でありたい。

 主のみ前に悪から離れ、清められた者となるためには、み言葉を素直に受け入れ、み言葉を実行する事が大切である。洗い清めの洗盤が鏡になっていたように、み言葉は、鏡として私たちの姿を映し出す。鏡を見て‘寝グセ’を直さなければ鏡の前から離れると直さずに終わってしまう。み言葉に教えられたなら、行う者になりましょう。                ヤコブ1:1725


« 1 ... 98 99 100 (101) 102 103 104 ... 119 »
ID : Pass :