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投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2013-03-01 20:14:31 (1227 ヒット)
メッセージ

『新しい契約』


契約関係には、夫婦間のように、お互いが対等の場合と、遺言状のようにどちらかの一方的な意志である場合がある。 聖書の言う‘契約’は、神様の一方的な意志として、表されている。

なぜ新しい‘契約’が必要であったのだろうか?

古い‘契約’は、不完全で、人々が律法を守れず、神様にとどまらなかった。イエス様の十字架によって、私たちと神様との間で、さらに優った新しい‘契約’が結ばれた以上、古い‘契約’は、廃棄される必要があった。

新しい‘契約’は、石の板とは違い、人の肉の心に刻まれ、それを守る力も聖霊によって、与えられる。また、すべての人に与えられている神様の一方的な恵みである。

 私たちの信仰は、いつの間にか硬い石の板のようになっていないだろうか?いつも主の前にリフレッシュして歩みましょう。   

                     ヘブル8:6〜13


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2013-02-22 21:19:42 (1321 ヒット)
メッセージ

『永遠の大祭司』


大祭司メルキゼデクと言う人が、ここ以外に何度か出てくる。その名前は、『正義』と言う意味を持ち、詳細は、わかっていない点が多いが、サレム(平和の意)の王であり、優れた祭司でもあった。

律法が成立するはるか前に、彼は、アブラハムから捧げものを受ける立場にあった。そのメルキゼデクに等しい方であるイエス様が、私たちが神様に近づくための、永遠の大祭司となって下さった。

 イエス様は、人である祭司のように、自分の罪のためにまずささげ物をしたくても良い、罪、汚れのない方である。死によって務めが終わる事もない。ご自分の十字架の血により、一度きり完全な捧げものをして下さった。私たちは、イエス様により、完全で、永遠の方法で、神様に近づく道が備えられているのだから、感謝して、さらに主に近づいてまいりましょう。       ヘブル7:26〜28


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2013-02-13 16:46:15 (1357 ヒット)
メッセージ

『主の弟子である事の基礎』


 私たちは、思わず「主よ!」とクチ走ってしまう事がある。悩みや問題の時、主の名を呼び祈る事は、大切であるが、単に口癖のようになってしまってはいないだろうか?そこに主への思いも信仰も無ければ、たとえ‘多くの力あるわざを行った’としても、不法を働く者と扱われてしまう。


私たち主を信じ、弟子として歩む者の基礎は、主のみ心に従う事である。主のみ心に従う事を土台にして、主の働きをすることで、実を結ぶことが出来るのである。その人が良い弟子であるか、どうか…その実によってわかる、と書かれている。

 

「主よ主よ」と言うばかりでなく、み言葉に従い、み心を行う者でありたい。そして、‘完全な者になりなさい’と言うみ言葉には、程遠い私たちであるが、イエス様により赦され、少しでもイエス様に似た者として、歩む者としていただきましょう。

                            マタイ7:21〜29


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2013-02-08 18:53:27 (1319 ヒット)
メッセージ

『命のパン』


 偉大なみ業をみたユダヤ人の中には、イエス様がイスラエルを復興してくれると期待する者があり、またイエス様を信じるための業を求める者もあった。


イエス様は、モーセの時代に荒野で天から神様がマナ(パン)を降らせたように、ご自身が‘天から下ってきたパン’であると言われた。それは、イエス様が私たちすべての者の罪のために、十字架の上で裂かれる事を表し、また信じる者に‘永遠の命’をあたえる命のパンでもある事を意味する。

 

私たちは、日々生活の中で、飲食しそのために、働いている。しかし、霊的な命のことを忘れてはならない。3度の食事が大切なように、‘たましいの食事’が必要である。イスラエル民が日毎に、マナを集めたように、私たちもみ言葉を読み、日々の祈りの中に、主と交わり‘命のパン’を頂きましょう。

                     ヨハネ6:3040


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2013-01-31 18:46:51 (1283 ヒット)
メッセージ

『天国を学ぶ学者』


私たちの与えられている救いは、どれほど尊いものでしょうか?イエス様が譬えられた‘良い真珠’や‘畑に隠した宝’のように、持ち物を売りはらってでも、手に入れたくなる…価値のあるものと思っているだろうか?

イエス様は、私たちを十字架にかかる程に愛して下さり、救いの中に入れて下さった。しかしユダヤ人や律法学者たちは、古い教えに凝り固まって、イエス様の救いに目を向けようとしなかった。

 

天国の事を教えられた私たちは、イエス様が命さえ捨てて、与えて下さったこの救いを、教えを、大切に持ち続けたい。み言葉により、祈りによって、キリストに繋がることで、ひとりよがりの信仰にならないようにしたい。

また、私たちの与えられているこの救いを隠しておくものでなく、家族や友人に伝える者となりましょう。  

                     マタイ13:4452


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