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投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2012-08-03 20:15:04 (1447 ヒット)
メッセージ

『主は避け所』


ダビデがサウル王からの攻撃を避けて、逃げている時の詩篇は、ここを含めたくさん有る。言いようのない恐怖や悲しみは、自分に‘心を留める者はひとりもない’ような孤独に陥れる。

この詩篇は、苦しみ中で主に近づき、主と深い交わりの中で祈り求めることの大切さを教えている。彼は、‘声を出して’‘嘆きを注ぎ出して’必死に祈り求めている事がわかる。そして、主は彼の‘避け所’であり、‘すべてを知る方’‘嗣業(受けるべき分)’として、近づき信頼を寄せている。

私たちが、罪ゆえに隠れなければいけない者であった時もイエス様が私たちの‘避け所’となって下さった。様々な苦しみに悩む時、主は私たちの‘避け所’となって下さる。どんな時も、祈りやみ言葉の中に、主との深い交わりを持つようにしましょう。        


                           詩篇142篇


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2012-07-27 18:55:31 (1414 ヒット)
メッセージ

 


『仕える者の報い』

この記事は、‘僕に対して’の教えが書かれているが、‘キリストの僕’である私たちにも語られている。私たちが奉仕をする時、また助けを必要とする誰かに何かをしようとする時、「あの人に・・してもらったから」と言う事を基準にしやすい。しかし、聖書は、何事も人に対してではなく、主に対してするように」教えている。

マタイ25章の譬えに、見返りを求めず、愛を実践した人に王が、小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである』と、主が再び来られる時、私たちに報いを与えて下さる事がわかる。

一般社会でも、『情けは人のためならず』と人に親切にするなら、天において主が報いて下さる私たちは、何においても主に仕えるように、奉仕をし、愛を行う者でありましよう。

                        コロサイ3:2224


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2012-07-21 11:19:04 (1501 ヒット)
メッセージ

『永遠なる方』


この≪伝道の書≫は、異説を唱える学者もいるが、ソロモンが書いたと言われている。ソロモンは、戦いの多かったダビデ王の時と違い、安泰の時代、通商や学問にも長けて、シバの女王も目を見張るほどの富も持っていた。‘世界一の幸福者’と言われていたソロモンがここで『空の空』と何度も書いている。結論から言うなら、神様を認めて生きなければ、『一切は空しい』と言っている。


自然界の様々な営みと同様、私たちの人生、良い時も悪い時も、その中を生かされている。だからこそ私たちは、永遠を思う思い、神を想う思いが与えられている。

イエス様が、私たちの罪を赦し、永遠のを命を与えて下さった。私たちは、喜びの時におおいに楽しみ、逆境の時には考え、主を中心に歩んでまいりましょう。       


                            伝道1:1217


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2012-07-13 20:07:31 (1556 ヒット)
メッセージ

『聖別された者』


私たちは、過去の罪からイエス様が十字架にかかられる事によって、あがない出され(買い戻され) 、聖別された者である。‘聖別’とは、世俗のものと区別して、きよめ、‘神のもの’とされている事を表す。

私たちが、聖別された者として、クリスチャン生活に求められているのは、情欲などを避け、慎み深く、信心深くあることであり、キリストの栄光の出現、また天国への望みを持ち続けることである。

聖別された者として、『あわれみの心、慈愛・・・を身に付けなさい(コロサイ3:12)』などと、み言葉はいろいろなところで私たちが、育成されて、み国を継ぐ道を教えている。

 そのためにも、み言葉を読みましょう。み言葉を理解する事が出来るように、聖霊が、その力も与えて下さるのです。   


                            テトス2:1114


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2012-07-06 14:56:20 (1475 ヒット)
メッセージ

 


『救いの感謝』

‘地に悪がはびこっていた’時に、神様は、大洪水により、人をぬぐい去られたが、ノアは、神様の一方的な選びによって、‘恵みを得た’。私たちがノアの立場であったらどうしただろうか?そんな事できない」などと言ったのでは、ないだろうか?ノアには、困難な事も含め‘すべて主が命じられたように’従う従順な信仰があったと言える。

災害などが起った時、人によっては、困難にある人たちを、裁くようなことを言う人がある。度重なる災害は、社会全体への警鐘であると、主の前に祈らなければならない。

私たちは、もともと滅びに向かっていた者であり、イエス様の十字架により、救いの中に入れられたことを、感謝しましょう。そして、まだ救われていないや困難に闘う人のために祈る者となりましょう。 


                            創世記7:6〜16


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