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投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2015-06-14 23:40:46 (932 ヒット)
メッセージ

『御霊が語らせるままに』使徒行伝2章1〜36節 
弟子たちはイエスを信じ父の約束〈聖霊〉を待ち望み祈っていた。五旬節の日、共に集い祈っていた弟子たちに突然、聖霊が注がれ、一同御霊が語らせるままに外国の言葉で神を褒め称えだした。人々は驚き惑った「これはいったいどういうことか」。ある人は彼らを「酔っぱらっている」と嘲った。ペテロは人々に語った。これは聖書が預言していたことの成就である。神はあなたがたが十字架で殺したイエスをよみがえらせた。イエスこそ神から遣わされたキリストだ。イエスは約束の聖霊を私たちに注がれたのだ。これを聞いた人々に強く心刺された人がいてペテロにどうすればよいか尋ねた。ペテロは悔い改めバプテスマを受けることを勧めた。多くの人々が彼の勧めのことばに従った。イエスは聖霊に満たされ導かれ公生涯を歩まれた。そして悔い改め聖霊に満たされた人々の群れが教会の起源となった。ペテロや弟子たちが御霊に満たされ力を受けたように私たちも御霊に満たされ歩み続けようではありませんか。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2015-06-01 14:40:25 (1174 ヒット)
メッセージ

『生ける水の川』(ヨハネ7章37〜39節)
私たちが生きるこの世界には渇きがある。飲み水を欲する肉体的な渇きだけではない。真理に対する魂の渇き、神から遠ざかる飢え渇きである。人はその渇きに気づいていないかもしれない。また私たちはその渇きを潤すために神ではなく違ったものを求める。それは人であったり、物であったり、地位や名誉であったりします。しかし、それによって本当の渇きが潤されることはありません。このような私たちにイエスは大声で言われました。「誰でも渇いているならわたしのもとに来なさい。わたしを信じる者は聖書がいっているとおり腹から(心の奥底=内側)から生ける水の川が流れだす。」
谷川の流れを慕う鹿のように(詩編42:1−2)神の臨在を求める者には聖霊がその渇きを潤して下さるのです。イエスを信じる者には生ける水(聖霊)が注がれる。この御言葉に従い、御霊に生かされ歩んでいこうではありませんか。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2015-05-24 22:00:21 (965 ヒット)
メッセージ

『キリストと聖霊によって』 
(使徒行伝1章3〜5節)
 ルカによる福音書の続きである使徒行伝。ルカが書き記したイエスは病の人を癒し、弱った人を助け、罪人に対し神の愛と憐れみを説いたお方。そして福音書の中で最も聖霊の御働きが多く記されている。
 使徒行伝1章には、復活のイエスが弟子たちの前に現れてから天に昇られるまでが書かれている。イエスは弟子たちに二つの事を指示した。すなわち、エルサレムにとどまること。そして父なる神の約束(聖霊)を待つことである。洗礼ヨハネは水で浸したが、神が遣わす聖霊が降りる(注がれる)バプテスマのことをイエスはすでに話しておられた(ヨハネの福音書14章〜15章)。イエスは天にあげられたが、距離的に遠くに行かれてしまったのではない。聖霊によって、信じる者と今も共にキリストはその働きをなしておられる。聖霊は真理を確信させ、キリストをあかしし、力を与えられる。
 神が約束された助け主、聖霊を私たちも求めてまいりましょう。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2015-05-17 01:05:23 (1025 ヒット)
メッセージ

『わたしの神』 ルツ記1章
 飢饉の難を逃れモアブに越してきたナオミは相次いで夫と息子を亡くした。ナオミはモアブ人の嫁たちに実家に帰り再婚するよう勧めた。しかし、ルツは義母と共にベツレヘムへ行くことを選んだ。 『あなたの神はわたしの神』ルツの信仰を表す告白でもある。 何が彼女を決意させたのか。ご利益宗教や因果論では理解できない。嫁ぎ先の家族との関わりの中で信仰者の姿から真の神を見たのであろう。ナオミの故郷でルツは買い戻しの権利のある親戚ボアズに出会う。「あなたの裾(翼)で覆ってください(守ってください)」ボアズはルツを贖い、夫婦となる。二人の間に子供が生まれその系譜はイエス様に繋がっていくところに、神様の深いご計画と導きを感じさせる。
 神に対する背信と悔い改めを繰り返した士師の時代にあって民衆の中に信仰が根付いていたことを思わせるルツ記。時代が下っても愛され読み継がれてきた理由に、姑ナオミと嫁ルツの互いをおもんばかる麗しい関係と、ナオミの言葉にひたむきに従うルツの姿に信仰者の模範を見出したからではないでしょうか。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2015-05-10 14:50:44 (940 ヒット)
メッセージ

『イエスに従う』 ヨハネ21章20〜25節
 復活された主は、ペテロがどのような死に方をして神の栄光を現すかを示されながら言われた。「わたしに従いなさい。」しかし、それに対しペテロが放った最初の問いは「この人(ヨハネ)はどうなのですか」というものであった。「あなたには何の係わりがあるか。あなたは、わたしに従いなさい。」イエスの答えは、主を見るのではなく脇見に逸れ大切なものを見失ってしまう者に対する警鐘でもある。人は相対的評価の競争社会においては他者と自分を単一の尺度で捉えようとしがちである。ヨハネにはヨハネの人生があり、ペテロの人生と比較するものではないのだと主は教えられる。「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」比較ではなく一人ひとりを見ておられ個人的に関わられる神。私たちの信じる主はこのようなお方である。過去と同様に現在でも私たちの心をイエスから逸らす要因は数限りなくある。何が大切なのかを明確にしながら、イエスの「わたしに従いなさい」ということばに応答しましょう。


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