『十字架の力』
政治の世界でいつまでも派閥争いが無くならないが、当時の教会の中にも、多少なりとも見うけられた。「私はパウロにつく」「私はぺテロに」と互いに争いがあった。私たちの間でも、「私はこの先生にお世話になったから‥」など、思ってしまう。
パウロが言うのは、自分が遣わされたのは、キリストの福音を宣べ伝えるためであり、十字架の力によってその道が開かれたと言う事である。
私たちが、見なければならないのは、イエスキリストである。このイエス様により、私たちは一つとされている事を忘れてはならない。‘私たちの罪のために十字架にかかられた’と言う事は、異端の人や神様を認めない人たちには、「愚かな」ことに思われても、‘救いの恵み’に預かっている私たちにとって神の力である。‘誰か’ではなく、十字架のイエス様を見上げていきましょう。
?コリント1:10?18