4月30日 メッセージ要約

 「神の国の幸い」マタイ5:3?4
山上の垂訓の冒頭では「幸いだ」という言葉が8回続きます。ここでいう幸い(ヘブル語でアシュレイ)とは、神から祝福されている状態を意味します。詩篇で繰り返し「幸いなことよ。その背きを赦され、罪おおわれた人は」などのように言われる「幸い」は、自分の思い通りに事が運ぶ幸運ということではなく「神の祝福を受けた」という意味です。「幸福感」と私たちが一般的に使う言葉には、大まかに分けると、心地よいとか満ち足りるという穏やかな感覚と、より望ましいことや良いことが順当にできているという達成感があるようです。信仰による幸福感とは、望む者を手に入れたという成功体験や、社会的な名誉や経済力などから得られるものではありません。信仰による真の幸せとは、天の父なる神との正しい関係を持つこと、罪のゆるしを受け、永遠のいのちにあずかることから本当の充足と喜び、揺るがない平安を与えられるのです。世の価値観と信仰による価値観は違います。「貧しくて幸せなはずがない」「悲しいことが起こるなら不幸ではないか」というのが世間の反応です。クリスチャンも苦しみや災いを歓迎しているわけではありませんが、神の支配の中で起こっている事と受け止め、不安と恐れの未来を先取りして押しつぶされないように信仰を働かせます。イエスは?「心配するな」と言われた:「まず神の国と神の義を求めなさい。そうすればこれらのものは全て与えられる…一日の労苦は、その日一日だけで十分である」(マタイ6:33.34)?平安を与える約束:「わたしは平安をあなたがたに残して行く…心を騒がせるな、また怖じ気づくな」(ヨハネ14:27)?共にいると励ます:「勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16:33)?聖書の真理が試練を益に変えられる(ローマ8:28)試練や逆境の時、不思議な神の助けや導きを体験することができます。順調に進んでいる時には見えない聖書の真理や神と人との出会いに感動することが起こります。神と共に歩む者は「悪い訪れを恐れず、その心は主に信頼して揺るがない」(詩篇112:7)困難な時に、神が与えて下さった人生の素晴らしさを知ることができるのです。