3月3日 メッセージ要約

「いのちの御霊の法則」ローマ書8:1~6

信仰を組織の利益のために悪用し、金銭や労働力などを搾取しようとする人々(カルト、新興宗教など)は、キリストの十字架による贖いが完全であることを認めません。既にキリストが罪を完全に贖われた、負債はもうない、十字架により全てが完了した、それを肯定すると都合が悪いのです。信仰+αが必要だ、善行や努力をもっとしなさい、と。献金や献身の行為を否定するというわけではありません。罪のゆるし(救い)の為にそれらの行為が必要だという考え方が間違っているのです。さらにこの聖書箇所では驚くべき宣言がなされています。「キリスト・イエスにある者は、罪に定められることはありません」では救われた者は、もう罪に責められることはない、裁かれないから、罪と過ちをくり返してもいいのでしょうか。いえ、意図的に罪を犯すことは決してゆるされません。「神の聖霊を悲しませてはなりません」(エペソ5:30)聖霊は救われた私たちにいのちの道を示され、イエスが語られた教えを思い起こさせ、真理へ導かれる方です。人格を持った神、聖霊さまとの交わりによって罪を犯すことから守られるのです。ダビデは神の祝福を受け取りながらも罪を犯しました。神から罪を示された時、ダビデは神に向かって祈りました「神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしの内に新しく確かな霊を授けて下さい。あなたの前からわたしを退けず、聖なる霊をわたしから取り去らないで下さい。(詩篇51:10~)」ダビデは救いの確かさと喜びを取り戻し、神に不義をぬぐい去り、聖霊によって支えて下さいと悔い改めました。この謙虚さがダビデを「信仰の人」と称するゆえんです。