7月14日 メッセージ要約

「神の選び」サムエル記上16章1~13節

イスラエル最後のさばき司、預言者、指導者としてサムエルが数十年活躍しましたが後継者はおらず、民衆は王を求めました。神は最初の王にサウルを選ばれましたが、王権の基盤はまだ脆弱でした。イスラエルは12部族の連合体で、それぞれの部族の有力者の協力が不可欠でした。士師の時代にイスラエル対ベニヤミン族という大乱があり、ベニヤミン族は壊滅的な敗北を喫しました。辛うじて根絶されることは免れましたが、イスラエル全体から見ればサウルの出身のベニヤミン族は小さなものでした。北にはヨセフの子孫でありアブラハムから続く長子の権を相続したと思われるエフライム族が大きな影響力を持っていました。南にはユダ族が大きな勢力をもっていました。イスラエル各部族が王に期待することはそれぞれに意見が異なり、互いの利益・利害を主張するため、サウル王は神経をすり減らしました。国内で王政への理解と協力が不十分な中、アマレク人やペリシテ人からの侵略に対しても戦い続けなければなりません。戦でいつも劣勢を強いられたサウルは、兵士たちの人気、支持を得るために、勝った時の恩賞のかわりに略奪をゆるしたのです。「自分は神に選ばれた王だ」というだけでは各部族の指導者と民衆の同意を得られなかったとはいえ、イスラエルの聖なる戦いが戦利品獲得の口実に成り下がってしまったのです。神が他民族(他宗教)のものを聖絶せよ、打ち捨てて置けと命じたものを「もったいない」と戦利品として持ち帰らせ、神の言葉より兵士たちの要望を重んじたのです。何を最も大事にしなければならないのか、何をまことに恐れなければならないのかを見失った時、人は神の御心に背き、神から離れ、「神の選び」を軽んじて、自分自身をも見失うのです。そんなサウルにサムエルは神の言葉を伝え叱責します。サウル王との関係性が冷えた時、神はサムエルにベツレヘムへ行くよう命じます。ベツレヘムの長老たちは怯えながらサムエルを迎え、そこでエッサイの子どもたちが呼び出されます。サムエル自身が「この人こそ油注ぎにふさわしい人だ」と思った兄たちではなく、末子のダビデを神は選ばれました。

「わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」

「この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち無きに等しいものを、あえて選ばれたのである。それは、どんな人間でも、神の御前に誇ることができないためである」(Ⅰコリント1:26~29)

神は人の思惑やものさしから離れた視点で自由に、恵みによって選ばれるのです。私たちも主の霊によって選びの証印を受けた者として確信をもって主に信頼し生きようではありませんか。(Ⅱコリント1:21~22)