10/13 メッセージ要約

「ダビデの悔悛」サムエル記下15、16章

息子アブサロムが王位を宣言し、民意の多数がアブサロムに傾くのを見て、ダビデは逃げようとすばやく決断します。少しでも戦力がほしい時ですが、在留異国人である傭兵たちに「わたしに従う義理はない、共にさまよわせるのはしのびない、新しい王につき、自分たちの生活を守りなさい」と去就の自由を告げます。弱い立場の者を思いやるようにという律法に忠実であると同時に、ダビデ自身の優しさが、この危急存亡の時に異国人に対しても愛と敬意を示したのです。アブサロムも人々に好意的でしたが、その動機はきわめて自己本位なものでした。人々の力を得て利用するために、優しい姿を演じていました。しかしダビデは自分が最も苦しい時に、弱い立場の者を配慮し、かつては敵だったガテ人(ペリシテ人。ガテ人で有名なのはゴリヤテ)にも彼らの幸せを願い助言したのです。神を信じ御心に真実に従おうとするダビデの姿から「まことの王」を見出したのではないでしょうか。ガテ人の兵長イタイは「主は生きておられます。死ぬも生きるも、王のおられるところに必ずいます」と宣言し、600人もの人がダビデについて行くことを願い出ました。追われる側のダビデについても不利なだけなのに、味方になっても何のメリットもない、むしろ面倒が増えそうな時に寄り添ってくれる人こそ「真の友」です。最も身近な者から裏切られ、多くの腹心の者が寝返った状況の中、命がけでついてきてくれる家臣や仲間がいたことは、どれだけダビデを慰め励ましたことでしょう。自分の身を守るためには強いほうに加勢したくなる強い誘惑がありますが、目先の情勢で天秤にかけるのではなく、「生ける神、主」の御心はどこにあるのかを考えて、信仰者は選び取る決断をするのです。明らかに困難が迫る中、共に過酷な道を歩もうとしてくれるのが信仰の友です。祭司ザドクは、神の臨在を象徴する「契約の箱」をダビデが持ち出す権利があると思い、町の門のところへ運んでいました。しかし50年ほど昔、祭司エリの息子たちがペリシテとの戦いにおいて契約の箱をかつぎ出し、神の戦いとしようとしましたが、イスラエルは手痛い敗戦の末、敵に契約の箱を奪われた散々な経験をしたことをダビデは知っていました。自分の正当化の手段に契約の箱を利用すること、神を自分の目的のために利用することをダビデは拒み、祭司を町に帰らせました。一方アヒトペルはアブサロムに「父王の側女のもとに入りなさい」と進言します。大陸の王朝は、先王の後宮の女性が殺され奴隷にされることもあれば、次王に庇護されることもあります。目に見える形で王朝交代が行われる方法を勧めたのですが、律法では近親相姦は忌むべき行為、死罪にあたります。アヒトペルはアブサロムに罪深い行為をさせることでウリヤの復讐を行ったのです。このような中、ダビデは神に何も要求はしませんでした。自分に降りかかる出来事も神の裁きであり、神の支配の中で起こる事として受け入れていたのです。