10/6 メッセージ要約

「アブサロムの野心」サムエル記下14:21~15:12

兄アムノンを殺害したアブサロムは外国に3年間潜伏し、将軍ヨアブはダビデに執り成してエルサレムへ帰還が許されます。しかしダビデは謹慎を言い渡し、さらに2年、父子が会うことはありませんでした。状況を打開するためにアブサロムはヨアブを脅迫するようにして父王へ取り次いでもらい、ようやくダビデはアブサロムを許しました。しかしアブサロムの心に蒔かれた罪の種は増長し、その後4年間にわたる周到な準備の末、父ダビデに対しクーデターを起こします。6節に「こうしてアブサロムはイスラエル人の心を盗んだ」とありますが、政権をとるためのパフォーマンスをする政治家のように、民の心をつかんで人々を自分の内に取り込んでいったのです。姿かたちも美しく、懐柔するのが上手だったアブサロムに、イスラエルの人々の心は彼になびいていきました。アブサロムはダビデを欺いてヘブロン(ダビデが最初に南ユダ王国で即位した際に首都を置いた都市)へ赴き、そこで王としての即位を宣言しました。しかもダビデの議官(相談役・参謀)をしていたアヒトペルを味方につけました。「ギロ人アヒトペル その言葉は神の御告げのようであった(サムエル下16章)」とあるように、彼の知恵は天から授けられたように、有能な人でした。アヒトペルという名前は「兄弟は愚か者」という意味ですが、本来の名前は違っていたのでしょう。政治的に権力を握った者が書き残した歴史では、主勢力に敗れた者の名前は忌まわしい印象で記されるものです。ギロ人はユダ族で、ダビデ30勇士の一人エリアムの父であり、エリアムの娘はバテシバ、つまりアヒトペルはバテシバの祖父にあたる人物です。孫娘の夫ウリヤは戦死し、ダビデ王と再婚した経緯を見ながら、切れ者のアヒトペルは王による不義の隠ぺい工作に気づいたのではないでしょうか。息子エリアムもウリヤも、王に忠誠をささげて数々の戦いで活躍したのに、その報いがこれなのか、とダビデ王の元を離れユダ族の嗣業地ギロに帰っていました。アブサロムに声をかけられ反乱に加担しましたが、アヒトペル自身のダビデに対する復讐でもあったのでしょう。これには日和見だったイスラエル部族の指導者たちも動揺し、アブサロムに分があるかもしれないと思い始めます。ダビデは息子の反乱の原因は自分にあることを知っていたので、出来る限り町の人々を巻き込まないで被害を少なくしようと考え、軍事力でエルサレムを制圧される前に身近な者と逃亡します。責任は全て自分にあると、他へ怒りを向けたりはせず、ただ神の裁きに従い、神におゆだねすると決めたのでした。