- 2023-06-04
- 2023-11-09
6月4日 メッセージ要約
「罪の赦しと聖霊」使徒行伝2章23?42 「だから、イスラエルの全家は、この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである」人々はこれを聞いて強く心を刺され、ペテロやほかの使徒たち […]
「罪の赦しと聖霊」使徒行伝2章23?42 「だから、イスラエルの全家は、この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は、主またキリストとしてお立てになったのである」人々はこれを聞いて強く心を刺され、ペテロやほかの使徒たち […]
「聖霊を受けなさい」使徒行伝2:2~42 ■聖霊の目的:キリストの証人となる為 いのちの息、キリストの霊、真理の御霊、なぐさめ主、助け主など聖霊の呼称はその性質を現しています。神の御霊なる聖霊は、求めればキリストを信じる一人ひとりに必ず注がれます。「 […]
「憐れみと赦し」マタイ福音書5:7?8 「憐れみ深い人たちは幸いである。彼らは憐れみを受けるであろう」ヘブル語での「憐れみ」は、不幸な人に対する単なる同情や他人の辛苦を気の毒に思うだけでなく、「その人の心まで入り、その人の立場で見て考えて、感じ取るこ […]
「あなたの神はわたしの神」ルツ記1:6?18 ナオミとその家族は飢饉を逃れるためモアブの地へ移住し、息子たちもその地で伴侶を得て暮らしていました。しかしその10年間でナオミは夫と二人の息子を亡くしました。将来への不安と貧しさの中でベツレヘ […]
「柔和と謙遜」マタイ5:5、6 「柔和」は、とげとげしい所のないものやわらかで穏やかな態度です。「謙遜」は、控えめなつつましい態度のことです。悪意をもって批判的に用いる人は「優しいけど頼りない」「柔弱で主体性がない」のような意味を加えてい […]
「神の国の幸い」マタイ5:3?4 山上の垂訓の冒頭では「幸いだ」という言葉が8回続きます。ここでいう幸い(ヘブル語でアシュレイ)とは、神から祝福されている状態を意味します。詩篇で繰り返し「幸いなことよ。その背きを赦され、罪おおわれた人は」 […]
「主は我らと共に」マタイ28:16?20 弟子たちは指示通りガリラヤの山で待っていると、復活の主イエスが栄光の姿で現れました。しかしこの目で見ても[とまどう](疑う)者もいたと聖書に書かれています。神はイエスに権威を与えられました。一部ですが例示する […]
4/16「それは誰のおしえか」マタイ28:11?20 「人は目的をもって聞きたいように聞き、見たいように見る」 思想・信条、宗教や良心により物事は色々な見方が出来ます。また先立って得ている情報により先入観から物事を一面でしかとらえられないということも […]
「主はよみがえられた」マタイ28:1?10 人は過去の出来事をどう解釈するかを変えることが出来ます。その人が今何を大切にしているかで受け取り方・見方が変わるからです。マタイは福音書で出来事を淡々と記していますが、復活のイエスとの出会いという特別な出来 […]
「神の子だった」マタイ27:27?50 いわれのない侮辱や暴力を受けて、抵抗することも言い返すこともせず、ただじっと受け止め耐えるということはなかなか出来ることではありません。心が破たんしてしまいます。イエスは、自分に向けられた悪意と憎しみと呪いを全 […]