『主が行く道』 ヨハネ13:31〜35
「愛の戒め」といわれる箇所です。ここから弟子達の質問に答える形で13、14章は進んでいきます。私達は愛することに困難を覚える事があります。本当に愛が無いと自覚し、自分をさいなむ事もしばしばです。しかしイエスは私達に出来ないことを無理強いされたのでしょうか。真似ると学ぶは近似しています。良い模範があれば真似ることが出来ます。イエスの生涯を学ぶことで私達は「愛することが出来る者」へと変えられてゆくでしょう。能力や財産、家柄や名誉など競争社会の中で相対的評価にさらされ揉まれた私達は、自分自身そして人をも相対的に見がちです。しかしイエスはかけがえのない一人の人として私(私達)と関わってくださるお方です。比較相対的な基準ではなく絶対的な個人として関わって下さったのです。与えるということは自分から離れ出ていくことです。キリストの愛は見返りや報いを求めるものではなく、一方的に与え、出ていく痛みを伴う犠牲の愛です。そのキリストの愛が目に見える形で示されたのが十字架刑による身代わりの死でした。主が歩んだ道は十字架を通して示されました。「互いに愛し合いなさい」イエスの戒めは私達の生きる道をも示されたのです。主イエスに倣(なら)う者として、主の道を歩もうではありませんか。
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