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投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2023-02-03 10:12:19 (10 ヒット)
メッセージ

 「恐れることはない」イザヤ41:5〜20

聖書ではたびたび信仰者に対し「恐れるな」と励ましの言葉をかけています。長血の女に対し「(あなたはもう治った、社会に戻ることができる)安心して行きなさい」(マルコ534)と宣言し、娘が死んだと聞いた会堂管理者に対し「恐れることはない。ただ信じなさい」(マルコ536)と。いつの時代でもどの国の人も、この地上の歩みには様々な不安があり、どのような立場にあっても問題がつきまとい、その裏返しのように多くの寺社仏閣を建て、技巧をこらして偶像を造ります。しかし聖書では、いくら丹念に偶像(人が造った神)をおがんでも意味はない、偶像に頼るのはむなしいと警告し、「不安や恐れがあるなら創造主である父なる神のもとに帰ってきなさい」と呼びかけているのです。イスラエルが神様に選ばれ愛されたのは、「全ての人たちの信仰の模範となり、イスラエルを通して全ての人が救われるように」と特別な働きを期待していたのですが、彼らは偶像礼拝に走ります。この聖書箇所ではイスラエルを「虫に等しい(虫けら)」と言っていますが、弱き小さき者という意味です。小国は政治的に軍事的にどこに頼るのかが常に課題でしたが、弱い者や愚かな者に頼るのは間違いであり、そんな間違いをおかすのは時間の無駄だ、富でも権力でも人でもない、頼るべき方は神だ、と。満足する解決には至らないかもしれない、しかし恐れるな、究極の課題である罪と死に対しては神様が既に解決を与えられている、永遠のいのちは約束されている、だから安心しなさい。あとは地上で一人ひとりに課せられた課題に向き合い、多くの気づきを経て、神の大きな恵みと祝福を受け取りなさい、と言うのです。「心を騒がせるな、神を信じ、またわたしを信じなさい」(ヨハネ141「あなたがたはこの世で悩みがある。しかし勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16:33)くり返し励まし、勇気を与えて下さる主を信頼し歩んでまいりましょう。 


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2023-02-03 10:07:54 (8 ヒット)
メッセージ

「救い主を迎えた人々」ルカ2章21〜38節


「主ご自身があなたがたにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」(イザヤ7:14)インマヌエル、「神は私たちと共におられる」という意味の名(マタイ1:23)の男の子の誕生は神のご計画であり、すでに預言されていたことですが、神の御霊なる聖霊に教えられなければイエスがその子であると分かることは出来ないでしょう。イエスはユダヤ人として生まれたため、律法の定めにしたがって8日目に割礼を受け、供え物をささげるために神殿へやってきました。そこにシメオンがいました。彼は主が遣わす救い主を見るまでは死なない、と聖霊からお告げを受けていたので、主に期待して敬虔な信仰生活を送っていました。シメオンはイエスが全ての人を救うメシアであることを聖霊に示され、幼子を腕に抱き神をほめたたえて喜び、父ヨセフと母マリアを祝福しました。また神に仕える84歳の女預言者アンナも神に感謝をささげ、人々に幼子イエスのことを語りました。この2人は高齢になるまで信仰あつい人生を送っていました。キリストに出会うまで長い長い時間のようですが、多くのイスラエルの民たちは自分の生きている間に待ち望んだ救い主にお会いすることはできませんでした。神の預言が成就するその時代に居合わせた幸いも、信仰の目が開かれていないと気づかないのです。この2人も神のあわれみにより救い主に引き合わされましたが自分の満足で終わることなく、「私はこの目であなた(神)の救いを見た」と人々に語り伝えたのでしょう。私たちも救い主に出会った喜びを語り伝えてまいりましょう。 


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2022-12-16 21:32:50 (48 ヒット)
メッセージ

「その名はインマヌエル」マタイ1章18〜25節


「神我らと共にいます」で始まり「いつもあなたがたと共にいる」で結ぶマタイの福音書は、キリストのご降誕を記録しています。クリスマスシーズンに入り、約2千年前に死なれたイエスが今も日本人である私たちの生活にも影響を与え続けていると知ることが出来ます。クリスマスは商業戦略にあおられ購買促進するだけの日ではありません。神の子が救い主となりご自身のいのちをもって人間を罪からあがなわれる為この世に来られたことを感謝する日なのです。イエスの母となったマリヤがどのような家庭で育ったのかは聖書には記されていません。マリヤはヨセフと婚約していましたが、当時のユダヤ社会では法律上「ヨセフの妻」という立場でした。婚礼をひかえ一年間は父の家で過ごしている時、天使ガブリエルが受胎告知するのです。先祖の言い伝えや預言書に登場する御使いが、ユダヤ人から田舎とさげすまれたガリラヤに住む娘のもとに現れたのです。旧約にも不妊の女性が神の恵みによって子を授かる事例はありましたが、夫婦生活に入っていない処女が子を宿すという奇蹟は聞いたこともありません。とまどい恐れるマリヤですが、御使いに励まされ、神を信じて最善を期待しおゆだねする決心をします。夫ヨセフは身重のマリヤに離縁状を渡そうと思い悩みますが、マリヤの妊娠は聖霊によることを知り、神のご計画に従いマリヤとこれから生まれる子を守ることを決心します。マリヤも、ヨセフも自分たちにふりかかるであろう困難を引き受けました。それが彼らの敬虔であり信仰でした。イエスは後に「思い煩うな」と教えられています。また「あなたがたの思い煩いをいっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(ペテロ5:7)神様の心配とはどのようなものであるかというと「憐れみ」です。遠くから傍観するのではなく私たちと共にいてくださり、救いの御手を差し伸べて下さるのです。クリスマス、人々がインマヌエルの預言の成就を知ることができますように。 


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2022-12-09 20:01:57 (57 ヒット)
メッセージ

「目を開いて見せて下さい」列王記下6章8〜23節


恐れや不安はどう克服すればよいでしょうか。信仰の対義語は不信仰ではなく「恐れ」です。目に見えない未来を悲観し絶望を先取りするのではなく、目に見えない神を信じ、勇気と希望を持って歩むことが「信仰に生きる」ことです。そこには神にゆだねている平安があります。スリヤ王はイスラエル攻略のため隠密に計画し軍を動かしますが、いつでもイスラエルは十分に準備し対応してくるため「機密情報が洩れている」国内にスパイがいると疑います。しかし原因は他にありました。イスラエルに預言者エリシャがいる限り勝利はないと知ったスリヤ王は、エリシャがドタンにいると知るや即刻戦車と大軍で町を包囲します。スリヤ王の愚かさとおかしみは、その企てもエリシャに見透かされているのを疑ってないところと、神の預言者に対し大軍を派遣し、お前を捕らえるためだぞと脅しているところです。何も知らないエリシャの召使は、突然現れたスリヤの大軍に恐れをなし慌てふためきます。ところが標的であるエリシャは落ち着きはらい「恐れることはない。我々と共にいる者は彼らと共にいる者より多いのだから」「彼の目を開いて見させてください」と祈ると、召使は火の馬と火の車がエリシャの周りに満ちているのを見るのです。ヘブル書11:1「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」とあります。厳しい状況に陥った時に「安心して行きなさい」「大丈夫だよ」という励ましに「何を根拠に気安く言うのですか」と、いらだつ人もいるでしょう。主を拠り所とし、主に期待し歩まんとする者は、未来を先取りし平安が与えら れるのです。恐れることなく、心の目が開かれて主の素晴らしさを見る(知る)ことができますように。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2022-12-02 14:02:28 (54 ヒット)
メッセージ

「安んじて行きなさい」列王記下5章1〜19節


思いもよらない病気や突然の事故は、人生の進路を余儀なく変更させ、未来に対する不安を生じます。その傷は他人には測り知れない痛みを伴い、孤独感と悩みを増幅させます。しかし神は不幸にさせるためにご計画されたのではなく、その痛みを通して見えるもの、気づくものがあると語りかけて下さいます。スリヤ軍(アラム)の将軍ナアマンは国外にも知れ渡る優秀な軍人でしたが、重い皮膚病を患っていました。将軍の妻のもとに、かつてスリヤの略奪隊がイスラエルから捕虜として連れて来た少女が仕えていました。その少女が女主人に「ご主人様がサマリアにいる預言者の所にお出でになれば、その病をいやしてもらえるでしょうに」と言いました。ナアマンにとっては暗闇に光を見たような良い知らせでしたが、隣国イスラエルとは常に友好な関係というわけではないため、主君に相談します。スリヤ王は親身になって紹介状をしたため、ナアマンは金銀など贈り物を携えて行きました。手紙を読んだイスラエルの王は「病気をいやす力など私にはない、これは言いがかりをつけて我が国と争う口実にするつもりかもしれない」と怒りました。その話を伝え聞いたエリシャは自分の元へ来るように伝えます。ナアマンが喜んでエリシャの家を訪ねると、戸口のところで使者が「ヨルダン川で七度身を洗いなさい」と告げました。エリシャが直接対応してくれると期待していたのに、思っていた方法と大きく異なるため、憤って帰国しかけました。しかし部下の進言もあり、言葉通りヨルダン川に七度身をひたすと病はきれいにいやされました。もしナアマンが重い皮膚を患っていなければ神と出会うことはなく、もしイスラエルにいた少女が他国に捕らえられなければ異邦人の救いはありませんでした。それぞれに人生の傷を持ち痛みを知った者に、神は不思議な方法でご計画のために用いられ、平安を与えられるのです。これから神を信じる生き方をしたいと願うナアマンに、エリシャは「安心して行きなさい」と告げました。


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