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投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2019-02-14 14:47:52 (8 ヒット)
メッセージ

「御国の奥義」マタイ13:1〜23
イエスの宣教に対して信じる人々と、反対する人々も現れ始めました。12章においてはイエスの家族が登場します。パリサイ派の人や律法学者に嫌われたら自分たちはここで生活ができない、と懸念して引き留めに来たのでしょうか。イエスは「私の父の御心を行う者は誰でも」神の家族である、と言われました。その後、御教えを聞こうとする群衆に種まきのたとえ話をしました。古代ユダヤの農業は種をまいてから、くわを入れて土を柔らかくしていました。まかれる種も、種のまき方も同じでしたが、良い土地に落ちた種だけが実を結んだという話です。何故たとえで話されたのでしょうか。具体的な物語によって抽象的な真理を分かりやすくする意図と、天国の奥義を聞くことを許された者(信じる者)と許されていない者とに分けるためです。奥義とは、ギリシャ語では宗教団体に入会した者だけに伝授する秘法、儀式のことを指します。キリスト教では真理は公に隠されているものではなく、人間の努力や修行や研究を極めてから伝授されるものでもありません。「神の国はいつ来るのか」という問いに対しイエスは、神の国は見えない形で来ている、神の御言葉を聞いてそれを守る者の中にある(ルカ17:20)と答えました。真理について、このいのちの意味について知りたいと神に求めるならば、その者は神の御言葉によって神の国についての知識を深め豊かにし、何の興味関心も持たない者はいよいよ天国から遠ざかるというのです。神の御言葉を退けることによって、自分が救いと赦しにふさわしくない者と証明しているのです。御国の奥義、神の国で最も大事なことはイエスを信じその言葉に従うことです。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2019-01-31 15:09:04 (27 ヒット)
メッセージ

「御国の福音を宣べ伝え」マタイ4:18〜25
「悔い改めよ。天国は近づいた。」イエスの公生涯の開始宣言です。バプテスマのヨハネも同じ宣言でもって活動しています。言葉は同じですが、天の父なる神からその全権を委ねられたイエスがその権威で断言しているところが全く違います。聖書が「悔い改め」と言うのは「神を信じよ」「神を恐れよ」「神に立ち返れ」と促していることが多いです。そもそも聖書で言う罪とは「的外れ」「曲がっている」「歪んでいる」というような意味です。神の正しさに対して的外れであることに気づかず、自分が正しい(自己義・自己中心)と思い込んで真理からそれているのが罪なのです。神の元に立ち返れ、神を仰ぎ見て生きよ、その者はいのちを得る、というのが聖書のメッセージです。イエスはガリラヤにおいて3つの方法で活動されました。.罐瀬篆佑硫馥欧廼気┐蕕譴拭↓御国の福音を宣べ伝えられた、あらゆる病気・患いを治された。当時の病気は社会的な貧しさが原因であったり、神の罰に結びつけられたり、悪霊の業に起因しているとも考えられていました。イエスは病気の癒しや悪霊の追い出しなどで、自分では意のままにならない罪や死など様々な問題に解決を与えて下さることを示されたのです。そのお方が「天国は近づいた」と宣言されました。神の支配が来る、神に従いその庇護に入れと勧めます。自分を治めることも出来ず、流され迷いやすいため罪と死の陥穽から這い出ることの出来ない私たちを主イエスが助け出して下さり、神が主権をもって支配して下さる。私たちの人生に神は愛の御手をさしのべ関わってくださる。それが「御国の福音」です。私達もこの「御国の福音」を宣べ伝えていきましょう。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2019-01-25 14:18:11 (20 ヒット)
メッセージ

「御国を受け継ぐ者」エペソ1:11〜14
本年の教会標語は【御国の継承】です。キリストの十字架の贖いによって罪が赦されたと信じる私達は、御国を受け継ぐ者として神に定められています。神のご計画によると、1.愛において聖く傷のない者となるため、2.神の子となるため、3.神の栄光が褒め称えられるため、私達は神に選ばれたのです。「御国を受け継ぐ」というヘブル語は「所有」「くじによって分け前にあずかる」という意味で、後に「神の嗣業・約束の地」を指すようになりました。旧約においてはイスラエル部族に目に見える形で土地が与えられ、新約では信仰によって神の子とされ、恵みによって霊的嗣業の相続人となるのです。キリスト者に将来起こることとして神が約束して下さったことですが、その保障として聖霊による証印が押されます。証印とは「封印する」ことです。差出人から送り主へ間違いなく届けられるように、また持ち主を明らかにし誰も荷物を損なうことがないようにするためのものです。救われた者に、神の国と全ての祝福を確かに受け継ぐためのしるしとして聖霊が与えられるのです。保証というギリシャ語は手付金、内金という言葉や、婚約指輪のことも指します。来たるべき御国を受け継ぐための保証として聖霊が与えられたのは、神が誠実に愛をもって私達と関わって下さる証拠です。受け手側(信じる者)の努力の成果ではなく、「福音を聞き、キリストを信じた結果」与えられた恵みです。「聖徒たちよ、主をほめうたえ、その聖なる御名に感謝せよ」(詩30:4.5)「私たちはキリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をほめたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。」(ヘブル13:15)


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2019-01-18 12:05:51 (41 ヒット)
メッセージ

「御国を受け継ぐ者」ピリピ2:12〜18
本年の教会標語は【御国の継承】です。信仰の継承というと意味は通じますが、厳密にいうと信仰は神と人との関わりであり、他人の信仰を受け継ぐというのは神学的にはそぐわない表現です。新約聖書には「御国を受け継ぐ者」という表現があります(エペソ1:11、14)。キリストの愛を告げ、自分が救われた喜びを伝えることで、家族が友人が神を信じ信仰を持ったとすれば、それは幸いです。その人も神の国を受け継ぐ者となります。親がクリスチャンだから仕方なく信仰を継承したとなると、それは宗旨の踏襲です。私たちはこの地上において深い関わりを持つ家族・友人・知人が救われることを願います。地上の家族が天においても神の家族となり、共に神へ賛美をささげることができればなんと幸いなことでしょう。しかし身近な人ほど、その人の弱さや未熟さや汚さを知っているでしょうから、過去にその人がどのように生きたかの痕跡で汚点や至らなさばかり目につくと、私では家族に証しにならない、と困難に思われる方が多いのも事実です。しかし私の努力の結果を見せることで人が救われるわけではありません。イエス・キリストが何をしてくださったのかをほめたたえ、告げ知らせるのです(ピリピ2:6〜8)。神は人に救いを求める意志を与えて下さり、それだけでなく溢れるばかりの恵みの中で生きる力も与えて下さるお方です。人々を救いへ導いて下さる方は神ご自身です。私たちは御国を受け継ぐ者として神の愛を、主イエスの十字架を伝えていこうではありませんか。神のみことばを霊的な糧として血肉とした信仰者は、その歩みが主の恵みの証しなのです。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2019-01-10 13:55:16 (36 ヒット)
メッセージ

「新しい生きた道をとおって」ヘブル10:1〜25
2018年はヘブル10:20の「新しい生きた道をとおって」を標語に歩んでまいりました。この道は十字架の犠牲によって開かれたものです(マタイ27:51)。イエス・キリストが身をもって、誰のためでもないこの私のために開いて下さった神への「道」。キリストのあがないにより神と人を隔てる罪という壁が取り除かれたため、旧約時代は至聖所へは年に一度、大祭司しか入ることができなかったのが、イエスを信じ救われた者は大胆に神のもとへ近づくことができるのです。この神の恵みを無駄にしてはいけません(競灰螢鵐6:1)。赦されたことを信じ、神に愛され受け入れられていると知った時の感動は間違いなく、私と神との真実な出会いからもたらされるものです。その信仰告白した希望に疑いを持たずに、主と共に歩み続けることができれば幸いです。しかしそれを阻む出来事が日常の中で起こります。自分がクリスチャンであるがゆえに人との価値観に摩擦が生じ、家族の中で孤立したり、社会の中で浮いてしまったり、周囲から反対があったり等のストレス。また、神に従い歩んでいるのに、問題が絶えない。祈りは本当に聞かれているのだろうか‥信仰を動揺させる人々(自分)の声。しかし、その問題、悩みと誠実に向き合わせ乗り越える勇気・愛・力をもたらして下さる源泉は神様なのです。私達が生ける新しい道を備えて下さったイエスご自身が「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」と言われました。生涯担わなければならない十字架も、イエスが共に背負い歩んで下さるのが新しい命の道です。ですから真心をもって信仰の確信に満たされつつ、互いに励まし合い歩もうではありませんか。


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