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投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2020-07-31 15:24:06 (15 ヒット)
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「与えられる神」ダニエル1章
優れた政治家であるバビロンの王ネブカデネザルは、征服した国々から有力な子弟を集め将来バビロンに有益な人材とするために名前を変えさせ教育を施します。食事は王と同じものを与えるという優遇ぶりです。戦勝国が国力の差を見せつけて服従させ、民族のアイデンティティを奪いバビロン化を進めるための計画があったことがうかがえます。しかし食文化はそれぞれの民族や宗教により習慣や嗜好が異なります。ダニエルらは準備される食事からイスラエルの食物規定にかかる肉を取り除くよう願います。困ったのは世話役の宦官の長です。肉を食べずに力を失い若者たちが体調を崩してしまえば、王にどのように取りつくろうとも厳罰は避けられません。そこでダニエルらは10日間だけ野菜中心の食事を試させてもらえるよう頼みました。神からダニエルらに対する慈しみと憐れみを与えられている世話役は、その提案を聞き入れ試してみると若者たちの中でもダニエルたちの方が顔色よく、はつらつとしていました。そこで世話役はダニエルらには王の献立ではなく食物規定にかからない食事を供したのでした。ダニエルらが王の意志に反してでも守ろうとしたのは、過去・現在・未来、人々の歴史を支配しておられる神への信仰です。バビロン化するというネブカデネザルの目的は果たせず、ダニエルたちは神の守りの中で、神の御旨に沿う生活ができたのです。それはこの世の人に軽んじられている「いのちのパン」神の御言葉という食物が、彼らの心身と霊性を健やかに支えたからです。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2020-07-24 10:40:07 (25 ヒット)
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「彼とは誰ですか」使徒行伝8:26〜40
預言書は人の目から隠されているわけでも、暗号化されたものでもありません。ただ、その預言書が書かれた文化的な背景を知り、歴史的経過を経なければ、そして神の視点(信仰)を持たなければ、そこで語られている人物が誰を示しているのか分かりません。イザヤ書53章の主のしもべの苦難と栄光の箇所を読んでも、異邦人であるエチオピヤの宦官は「彼」が誰のことなのか分かりませんでした。御霊に示されたピリポが宦官に話しかけ、「手引きしてくれなければ分からない」と答えたので、ピリポは丁寧に聖書を通して福音を告げました。国や文化の違いを越えて聖書が人々の心を打つのは、罪や汚れといった人間の本質に関わる部分を明らかにし、その罪の贖いと赦しという解決法を示しているからでしょう。時代が変わり、文明文化が進んで生活が便利になっても人間の本質は変わらず、生きることと死ぬことについて悩んでいます。当時、地位と富のあった宦官でしたが、真理を求めていました。罪の無い神のひとり子イエス・キリストがこの地に来られたことで、イザヤの預言した「彼」が明らかになったことを教えられ、宦官は信じてその場で洗礼を受けました。彼は喜びエチオピヤに帰り、かの地でイエス・キリストの福音を伝えたことでしょう。ステパノの殉教から始まったエルサレムからの迫害によってクリスチャンは全地に散りましたが、ピリポと宦官の出会いのように、一人の信じる者によって更に多くの人に福音が伝えられ救いの御業が広げられました。一人の存在は小さく弱いものかもしれません。しかし主は信じて従う者を用いて、導かれるお方です。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2020-07-24 10:37:58 (25 ヒット)
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「歴史と将来」使徒行伝7:1〜16
恵みと力に満ちたステパノは「知恵と霊とによって語る」ので、迫害する者たちは歯が立たず「モーセと神を汚す言葉を聞いた、聖所を打ちこわし〜伝えられた慣例を変えてしまう」という偽証をさせ、ステパノを捕えます。「訴えの通りか」と質問されたステパノは議会と聴衆に福音を説く機会だと、イスラエルの歴史に基づいて弁明しました。当然、大祭司やサドカイ人は十分に知悉していたイスラエル史でしょうが、イエス・キリストへの信仰に基づいた歴史観から語られると全く異なるものに聞こえました。大祭司らが大切にしていた神殿や律法などの権威の象徴を意識したのか、ステパノは土地も神殿も何もない、ただ信仰だけがあったアブラハム物語から語り始めます。何が行動の動機であり、何が判断の基準になるのか。ある人たちは自己利益(富、名誉や権力…)あるいは仕事、家族・友人を優先するかもしれません。その点、アブラハムは神の約束のみを信じ旅立ったのでした。まだ子どもはいないけれど将来、子孫は星の数ほど増え、400年他の国へ移り住み奴隷にされ苦役を受けるが、この地に帰って来る。その話にアブラハムは「子孫の苦労を取り除いて下さい」とは願い求めず、栄光の神を信頼し、語りかけに応答したのです。私たちは将来を描ききることは出来ません。自分の考えや計画が妨げられ、道が開かないように思えることもあります。ステパノもキリストを証しした後、石で打ち殺されました。イエス・キリストの福音からイスラエルの歴史を振り返ると、その痛み苦しみ、また人の愚かさをも越えた神の大きな計画を見出すことができるのです。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2020-07-09 12:26:26 (44 ヒット)
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「歴史の判断」使徒行伝5:17〜42
祭司長及び議会から「イエスの名前によって語ったり教えたりしてはいけない」と命ぜられていたにも関わらず、ペテロらイエスの弟子たち(使徒)は「わたしたちは神に従う」とイエス・キリストの御名によって語り、御名によって祈り、いやしなどの業を行いました。キリストの権威を代理人として行使していたのです。代理人の行為は、遣わした者が責任を持つものです。使徒たちの身柄は、遣わされた神が責任をもって保護され、語るべき言葉を与えられたのです。妬みに燃やされた祭司長やサドカイ人たちによって再度、ペテロら使徒は捕われ牢獄に入れられますが、御使いによって助け出され「この命の言葉を残らず民衆に告げなさい」と励ましを受けました。神殿の主管と下役は、民衆にも支持されつつある使徒たちに手荒なことはできず、慎重に議会へ連れて行き証言台に立たせました。使徒たちは大胆にキリストを証言し、これを聞いた祭司長らは激しく怒り、使徒たちを殺そうとしました。しかし、その場にいたユダヤ教大学者ガマリエルは「彼らが偽物ならば自滅するだろう。しかし神から出たものなら滅ぼすことは出来ない。むしろ諸君が神に逆らうことになる」と意見しました。自分たちで裁くのではなく、本物なら歴史がそれを証明するだろうと仲裁に入った形になりましたが、議会はその言葉に従うことにしました。歴史はどの様な判断を下したのでしょうか。後にエルサレムはローマによって滅ぼされ、祭司長らは命と立場を失ったのです。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2020-07-03 10:45:33 (50 ヒット)
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「聖霊に満たされて」使徒行伝4:1〜31
美しの門での奇蹟とペテロの説教により、救われる人も大勢いましたがユダヤの指導者たちは危惧を抱き、ペテロとヨハネを逮捕させました。弟子たちの受けた最初の迫害でした。ペテロたちは「あなたがたに聞き従うより神に従う」「自分の見たこと聞いたことを語らないわけにはいかない」と述べ釈放された後、仲間のもとに帰りました。困難なことが生じた時、どうするべきでしょうか。ここではイエス・キリストを信じる仲間たちと心を一つにして祈ることを教えています。祈り合う信仰の兄姉・友人がいると、聖霊が私たちの信仰を引き出し、心を強めて下さるから幸いです。また一人で祈るとしても父なる神に向かいイエスの名前によって祈る時、聖霊が働いて下さるから孤独ではないのです。聖霊は祈りの言葉を唇に与え、真理へと導き、信仰を引き上げてくださるお方です。またこの4章1〜31節には「聖霊によって」「聖霊に満たされて」と繰り返されています。弟子たちは聖霊に満たされ力(信仰による勇気)をいただき、大胆にキリストを証しすることができたのです。ペテロとヨハネが特別だったのでしょうか。彼らの力と知恵に驚くユダヤ指導者たちでしたが、世間の評価では無学なただの人とあります。それが大勢の人の心を動かすほどの弁舌をふるい、力ある業を行ったのは、彼らがキリストと共に歩む者、御霊によりキリストの名が刻まれている者だったからです。ペテロら弟子たちと今を生きる私たちを繋ぐものはイエス・キリストへの信仰です。創造主なる神を誉めたたえ、聖霊の御業が行われることを願い、イエスの御名によって心を合わせて共に祈りましょう。


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