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投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2021-09-22 20:25:10 (1 ヒット)
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「妬みと怒り」士師記12章1〜7節
首領エフタが活躍したのはおおよそ300年あった士師の時代の分岐点、イスラエル部族間の関わり・繋がりといった連帯意識がうすらいだ頃でした。エフタ率いるギルアデ人たちがアンモン人との戦いに勝利した後、エフライム族がその勝利に言いがかりをつけるため、わざわざ兵を率いてヨルダン川を渡ってきました。開口一番「なぜ我々に話を通さなかったのか」「お前の家に火をつけ、お前を燃やしてやる」と脅します。エフライムとしてはイスラエルの中心であるという自負(※長子の権、神の祝福の継承者:創世記48章)による高慢から、自分たちに報告連絡なしに勝手なことをするとはいかなる料簡か、とエフタをねたんだのです。エフライムはこれまでにも、カナン入植にあたり割当地についてヨシュアに不満を漏らします。エフライム出身のヨシュアは彼らをたしなめます(ヨシュア17章)。またギデオンがミデヤン人との戦いに勝利した時も、戦い後半に加わったエフライムはギデオンに文句を言います。ギデオンはエフライムの怒りを解き、平和に収めました(士師8章)。しかしエフタは彼らと違いました。初めはエフタも「有力部族だというなら率先して戦ってくれたらいいのに助けてもくれず、今さら言いがかりか」と理性的に反論していましたが、エフライムはエフタを見誤りました。このギルアデの士師について無知だったのです。エフタはアンモン人との戦いに勝利するため娘をささげました(※神は望まれていない)。エフライムはその勝利にケチをつけ、恫喝(どうかつ)したのです。血統を誇るエフライムは、出自に負い目のあるエフタ(正妻の子ではないと兄弟たちから家を追われた)に、二重三重に口撃します。「ヨルダン川東のギルアデはエフライム(彼らからするとイスラエル)から逃げた者ではないか」偏見の言葉はギルアデの人々をも怒らせました。口が災いして、部族間の争いによって42,000名もの死者を出す内紛がイスラエルに起こりました。「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。」(箴言16:18)のです。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2021-09-18 14:42:04 (11 ヒット)
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「勇士エフタ」士師記11章
イスラエルの人々は主を捨てて他国の神々に仕えたため、アンモン人の攻撃を受けて苦境に立たされました。イスラエルの人は結集しましたが、指揮官にふさわしい戦いに長けた人物がいません。部族の頭である長老たちに乞われて、ごろつきの頭であるエフタが首領となりました。エフタはまずアンモン人の王に使者を送り、出エジプトにまでさかのぼって先祖たちがこの土地に住む正当性を述べ、撤退するよう進言しますがアンモン人の王は聞き入れませんでした。そこでエフタは戦いに出るのですが、「もし勝利するなら、無事に帰った時に最初に出迎える家の者を焼き尽くすいけにえとして捧げます」と誓願を立てました。一度誓願したことは破ることはできず、必ず果たさなければなりません。誓願を立てるのは個人の自由意志であって聖書では勧めておらず、人身御供はむしろ主は否定されています。
イスラエルの歴史をひもときアンモン人の王に反論したエフタでしたが、土着の異教の影響を受けた間違った信仰観により、このような方法をとってしまいました。「私はこれだけの犠牲を捧げる、頑張る、だから神様、それ相応の結果を与えて下さい、報いて下さい」自分の口から出た言葉が我が身に返ってきた時、エフタはたった一人の子どもを失うこととなり、エフタの家は絶えました。自分に課せられ期待されている働きに重圧を感じ、不安や恐れから神様と取り引きするのは人間側の発想です。主は人間の罪のために、ひとり子イエスという尊い犠牲を払われました。私たちが誓願を立てて払う犠牲など、到底及ばないものです。最も凶悪な「死」という敵に主は勝利されたことを喜び、私の代わりに主が既に犠牲を払って下さったことに感謝し、主の御心が成るのだと未来を先取りして平安を得ること、それが私たちの信仰です。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2021-09-18 14:39:29 (9 ヒット)
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「ギデオンの過失」士師記8章22〜33節
イスラエルの人々はギデオンが王になることを望みましたが、ギデオンは「主があなたがたを治められます」とはっきり断ります。その代わり、ミデヤン人から奪い取った金の耳輪を自分の分け前として提案しました。民衆が差し出した貴金属は1700シケル(約20圈1億3千万円相当)あり、その集めた金でエポデ(祭司がいけにえを献げる際などに着用するチョッキのようなもの)を造り、自分の町オフラに置きます。聖書では「それが罠となった」と書いています。モーセやヨシュアも民衆全体の利益を守ってきた指導者でしたが、ギデオンは個人的な報酬を求め、故郷に錦を飾るつもりでエポデを置いたのでしょう。神の召命を受けた時、町中のバアルの祭壇を壊しアシラ像を切り倒したギデオンが、宗教的権威の象徴として作った立派な金のエポデにより民衆に偶像礼拝の道を開いてしまいました。どこかで気づいてエポデを叩き壊すなどしたら、過ちをつぐなえたかもしれませんが、それはありませんでした。ギデオンは異性の誘惑も弱く、多くの妻がいて子どもは70人いました。しかし妻でない女性の子アビメレクが69人の兄弟を殺すという惨劇を起こしています(9章)。ギデオンの死後、イスラエルの人々はギデオンによって敵から救われたことを忘れ、ギデオンの一族に善行に報いる誠意を示すことはなかったとあります。民衆がギデオンの晩年の生き方を喜ばなかった為、心が離れていたのでしょう。イスラエルの指導者の責任の一つは、民衆に信仰を持って神に目を向けさせ、御心を求めることでしょう。この点でギデオンは指導者として過失がありました。悔い改めとは方向転換することです。自分勝手に進んでいたところから神の方に向きを直す。反省と悔い改めの違いは、自分の立ち位置から神の方へ、視点と行動を変えるところです。故意にではなく、不注意によって不利益な結果を招いたのだとしても、ダビデはすぐ悔い改め、神の御心へ進み直す人でした。ダビデの特質、見習うべき点はそこです。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2021-08-27 11:23:11 (53 ヒット)
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「大勇士ギデオン」士師記7章
想像力を働かせる、とはどういうことでしょうか。「少し先の未来」に自分を置いてみて、「もし自分がそのような状況になったら」と考えると、災害時などに逃げ遅れる前に避難することができます。「自分は大丈夫」という過信で、想定外のことが起こった時に行動が遅れて被災してしまうのが近年の災害です。経済格差問題や民族差別問題に対しても、もし自分や家族がそうであったら…と想像できたら、他人の苦しみ、つらさ、痛みに寄り添うことができます。またそういった問題が生じる背景を勉強し、正しく理解することで人に対する配慮が生まれるでしょう。では信仰を働かせる、とはどういうことでしょうか。神の召命を受けたギデオンの呼びかけに応じ、ミデヤン人と戦うため続々とイスラエル部族が集まり、その数32,000人とありますが、対する敵は「海辺の砂のように多く、数えることができない」程でした。それでも神は「共にいる民はあまりに多い」と不思議なことを言われます。これだけ味方がいれば安心、何とか勝てる、と過信して「私は自身の手で自分を救ったのだ」と高慢にならないように、と味方の数を減らすように命じられます。信仰を働かせるとは、「こんな無力な自分ではとても太刀打ちできないが、神ができると言われたのなら、自分では計り知れない御業をきっと起こして下さる。神はそれがお出来になる方だ」と信じ、勇気を奮い起こして従うことです。大勇士ギデオンは、慎重と臆病のはざまにいました。彼なりに恐れと戦っていますが、神にしるしを求め、神の言葉を求めて、神が共にいて下さると分かることができたなら行動できたのです。それは、神が信じる者にはどのようなことをされたかを知り、どのようなお方であるかを知ることで、神への深い信頼が生まれるのです。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2021-08-20 21:49:33 (35 ヒット)
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「ギデオンの召命」士師記6:1〜24
ヨシュアの死後、イスラエルは何度も主の目の前に悪を行っては、異民族の手に渡されてしえたげられます。時代や地域によって敵は異なりますが、この章ではミデヤン人、アマレク人らの度重なる襲撃によってイスラエルの国力が衰えていきます。そんな時、マナセ族のアビエゼル人ヨアシの息子、ギデオンの元に主の御使いが訪れます。「大勇士よ」と語りかけられたギデオンは、すぐに召命に答えたわけではありません。「主が私たちと共におられるならば、どうしてこれらの事が私たちに臨んだのでしょう」何故、不思議な御業で先祖を救い出されたという主は、何もして下さらず我々をミデヤン人に引き渡されたのか、と問いかけます。神様はこのような問う姿勢を喜ばれます。イエスはたとえ話をされる時に「聞く耳のある者は聞きなさい」と呼びかけられました。問題意識を持って主の語りかけに耳をすまし、心を傾けなさい、分からないことがあるなら主に向き合って問いかけなさい、「求めよ、そうすれば与えられるであろう。捜せ、そうすれば見出すであろう。門をたたけ、そうすれば開けてもらえるであろう」(マタイ7:7)。ギデオンは敵の目を恐れて酒ぶねの中で麦を打っていました。主の御使いに対しても「私の氏族はマナセの内で最も小さいものです。どうしてイスラエルを救うことができるでしょう」と反論します。そんな彼を臆病とか小心者であるとか評価する人もいます。しかし神は一言もそのような評価をしていません。イスラエルの不信仰に対し、主は「七年の間ミデヤン人の手に渡された」とあります。イスラエルを戒め、教育し、御心にかなうよう整えるために異邦人を用いられる主は、「私があなたを遣わすのではありませんか」「私があなたと共にいるから」と励まされる方です。


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