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投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2015-12-24 00:17:33 (905 ヒット)
メッセージ

マタイ福音書2:1〜12『良き知らせ』
「救い主が私たちのためにお生まれになりました」これは誰にとっても良き知らせなのです。しかし受け手によりその意味は異なります。当時のユダヤの人々の反応はどうだったでしょうか。東方の博士たちの来訪により、ヘロデ大王だけでなく町の人々も恐れ戸惑います。ヘロデは王位を脅かす存在は、たとえ自分の息子であっても亡き者にするような人物でした。祭司長や律法学者らはヘロデの「ユダヤの王はどこで生まれるのか」という質問に対し、淀みなく「ベツレヘムです」と答えます。答えは知っていてもそれによって彼らが行動を起こすことはなかったようです。「自称イスラエルの解放者」がまたぞろ出現し、危険分子を取り除くためヘロデによって再び血が流されるのではないかと恐れ、関わりを持つまいと距離を置いたのでしょう。結局「新しい王」が生まれたことを知らされて、実際にたずねに行ったのは異国の占星学者だけでした。神は彼らを星によって導きました。私たちも神によって救い主のもとへ導かれました。ユダヤの人々が永年待ち望んだ救い主は、私たち一人ひとりのためにお生まれになったことを真摯に受けとめ、主イエス・キリストに感謝をおささげしましょう。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2015-12-13 15:07:45 (1067 ヒット)
メッセージ

 『神 我らと共にいます』マタイ1章18〜25節
旧約聖書の創世記では、神の息吹によって人間が誕生しました。イエス・キリストは聖霊によって誕生しました。マタイによる福音書では、イエスの系図の次に地上の母マリヤと父ヨセフのことを記しています。救い主である方の両親となる彼らに共通するのは、御言葉に対する敬虔な態度です。ヨセフは婚約者が結婚前に身ごもったことを知り、婚約解消という法的手続きを考えますが、夢に主の使いが現れマリヤの胎の子は聖霊によるのであると伝えられると、それを信じマリヤを妻として迎えました。筆者マタイはイザヤ書から救い主の誕生の預言が成就したと読み解いています。700年前にイザヤが預言した「おとめが身ごもって男の子を産む、その名はインマヌエル(神 我らと共に の意味)」は、イエス(ヘブル語で主は救い の意味)のことを指していました。人間の力では決して解決できない罪から救うために、神の御業によりこのお方が誕生されたのです。自分自身の内に罪を認め悲しむ人に、「どんなに汚くても哀れな姿であってもあなたを救う、私はあなたと共にいる」と言ってくださるインマヌエルの君は、信じる者の心に誕生して下さったのです。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2015-12-12 15:55:35 (1071 ヒット)
メッセージ

『神の計画』マタイ1章1〜17節
ヘブル人信仰者に向けられて著されているというマタイによる福音書は系図から始まっています。当時、聖書には章節は付けられていませんでしたが、区分はありました。創世記でしたら「〜由来」「〜の系図」が見出しです。この見出しが11あり、創世記は12区分に分けられます。創世記の天地創造からアダムの系図より人類の歴史が始まり、新約の『イエス・キリストの系図』より新しい時代が始まります。系図を大切にし、誰の子孫であるかを誇りにしていたヘブル人にとって強烈な印象を与えたことでしょう。アブラハムから始まりイエスの誕生に向かって、神が救いのご計画を成就するために歴史を支配しておられることを知るのです。しかし、ヘブル人にとって神の前に正しくないと思われる者も、その系図に名を連ねています。彼らの子孫としてきよいお方がお生まれになり、系図に流れている罪と恥を引き受けられ、十字架で死なれました。不完全な歩みしかできない人の弱さに、神は同情できない方ではありません。罪深い現実の世に生きている人々を憐れまれキリストはその血潮できよめ、死で終わるのではなくよみがえられました。救い主の誕生を心から喜びましょう。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2015-12-04 11:04:19 (1028 ヒット)
メッセージ

『神の教会』使徒20:13〜37
パウロはエペソ教会の長老たちに足を運んでもらい話す機会をもちました。おそらく彼らと会い話すのは最後になると予感した上で別れの言葉を語りました。エペソでの3年間を回想します。朝は自足するためテントを造り、昼はツラノの講堂で福音を伝え、夜は家々を訪問し兄弟姉妹を励まし教えました。主に遣わされ、いのちも惜しまず福音を宣べ伝える働きを出来うる限り行いました。パウロが危惧したのは、教会の内側に入り込み、信徒を誤った教えに導き組織を腐敗させる偽預言者・偽教師たちのことです。彼らを凶暴な狼に例え、そのような危険に対応するため目を覚ましていなさい・聖書の御言葉に忠実でありなさいと諭しました。また教会の兄姉に気を配ってほしいと信仰生活を送る上での牧会的な配慮をお願いしました。パウロの最後の教えを守り御言葉に忠実であったエペソ教会は、黙示録によると後に偽使徒を見抜いたようです。しかし「初めの愛」からは離れてしまったともあります。御言葉は徳を建て、御国を継がせる力です。「受けるよりも与える幸い」とイエスが説いた愛に根ざし、御言葉に生きる神の教会を建て上げることが出来ますように。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2015-11-22 17:22:18 (1150 ヒット)
メッセージ

『主のなぐさめ』使徒20:1〜12
第3回伝道旅行も後半、パウロは御霊に示されて一旦エルサレムへ帰る決心をしました。諸教会で集めた救援金を携えてエルサレムへ向かう途上マケドニヤ、アカヤ諸州の教会に立ち寄り、兄弟姉妹たちに会い、励ましながらの旅です。同行者は伝道旅行で救われた異邦人で今は各教会の代表的な立場の人たちです。トロアスに立ち寄った時のことです。パウロの話を聞くため大勢の人々が集まっていました。人々の福音をもっと聞きたいという思いと、パウロの伝えたい情熱が相まって話は夜半になっても続きました。その中でユテコという若者が疲れていたのか、ふと寝てしまったのです。場所が悪いことに彼がいたのは窓際で、3階から落ちて死んでしまいました。神の恵みの福音を聞くため集まったのに、どうしてこのような事が起きてしまったのかと人々は動揺しましたが、パウロは落ち着きユテコに近づいて言いました「騒ぐことはない。まだ(彼の内に)命がある。」そして彼は生きかえったのです。結局パウロは徹夜で彼らと語り合い、言葉を尽くして励ましました。人々はパウロの語る福音に勇気づけられ、ユテコの生きかえりの奇跡に慰められたのです。


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