『たましいを覚える』
イエス様は、常に祈りをされた。神の子だから祈らなくていいわけではなく、静かな所に退き、祈られた。特に大切な時の前には、神様のみ心を仰いで祈られた。ここは、12人の弟子を選ばれる前であり、十字架を目前にした時は、ゲッセマネの園で祈られた。
私たちは、ともすれば自分のことばかり祈っているが、イエス様は、宣教のため、たましいひとり一人のためにとりなして祈っておられ、十字架の上でさえ、罪人のとりなしを祈られた。
私たちが救われたのも、イエス様にとりなしていただいたからであるし、とりなして祈ってくれた先生や家族などがいた。大きな働きはできないかも知れない。しかし主に倣って、たましいを覚えて、とりなして祈りたいものである。主はその祈りを喜んで下さる。
ルカ6:12?19