「救い主イエスの死」マタイ福音書27:27〜50
肉親や生まれた土地など自分の存在の根源的な部分を侮辱されると、自分自身が否定されたようで怒り憎しみを通り越して虚しさに襲われることがあります。人の能力や努力によっても動かすことが出来ない事柄に付け込んで人をおとしめようとする行為に、人の闇の部分(罪深さ)を見るからです。人の言葉を適当に回避する知恵もない子ども時代にそのような体験をすると、いやし難い心の傷が残ります。「敵を愛せよ」「迫害する者のために祈れ」と言われても、耐え難い侮辱と中傷、嘲笑を受ける時、憎しみや怒りに染まることなく、呪いの言葉を吐くことなく、自分を傷つける者を愛する。人間には出来そうにもありません。主から愛と知恵、勇気をいただきましょう。イエス・キリストが私たちの大盾となって守ってくださいます。人権という言葉も概念もない時代、裁判で死刑となったイエスに対する扱いは、それは酷いものでした。ローマ兵に辱めと暴力を受け、指導者に煽られた群衆からは死ねという大合唱。人は多数派に同調しようとするところがあります。それが平時ではとても受け入れられない思想だったとしても、それが多数派を占める場合、それが正義だと思い込み、狂気がまかり通るのです。大勢の人がやっている、自分は勝者側にいると思うと、人は違和感なく容易に残虐性を発揮することがあります。戦時の混乱に乗じて残忍なことや非道がまかり通るのもそのためです。普段ローマに虐げられていたユダヤの人たちは、救世主と名乗りながら自分たちを解放し得なかったイエスをここぞとばかりに罵倒しました。私たちは機会あるごとに人の罪や愚かさを繰り返し学びましたが、この十字架の場面が最たるものでしょう。クレネ人シモンは鞭うたれ傷つき体力を失ったイエスの代わりに十字架を刑場まで担いでいくようローマ兵に命じられます。最初は巻き添えを食らって迷惑だと思ったことでしょう。しかしこの十字架は人々の罪をあがなうために罪のないイエスが犠牲となられた、人々の痛手を一身に引き受けられたのだと知り、やがて彼と彼の家族も救われるのです。
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