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投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2019-10-11 04:26:32 (26 ヒット)
メッセージ

 「主に伺うダビデ」 サムエル上23章
サウルとダビデは、それぞれ主に選ばれ油注がれイスラエルの王となりましたが、2人を分かつ信仰観、生き方の違いは「主にうかがう」ことでした。実はサウルという名はシャーアル「主にたずねる」から来ていますが、サウルが主にたずね、主に問うても、夢においても預言者からも神からの応えはありませんでした。そこで彼は女性の霊媒師に占ってもらうという愚挙に出ました。それに対してダビデは彼の人生において何度か失敗をしてもその都度、悔い改めて主に帰り、主にたずね求めたのが特徴的です。逃亡していたダビデの元に、親族や貧しい人やサウルに不満を持つ者たちが400人程集まっていた時、ケイラの町がペリシテの略奪隊に襲われているとの情報が入ります。本来ならサウル王のイスラエル軍が対応するべきですが、ダビデは手勢を率いて救出に向かうべきか「主にうかが」います。神は「行って、ケイラを救え」と答えますが、ダビデの部下は消極的です。再度、主に伺いを立てると「ペリシテ人をあなたの手に渡す」と答えられ、ダビデは奮起し味方を励まし、略奪隊に勝利しケイラの住民を守りました。しかしケイラの人々にとってはサウル王にダビデとの関係を疑われる難しい立場となり、ダビデもサウル王に居場所が特定されてしまいます。主の声に従ったのに、サウル王がダビデを殺すために兵を率いてやってくるという危険にさらされます。そこでダビデはどう行動すべきか主にたずね、ケイラを出てあちこちをさまよいます。ダビデは命をねらわれ続けるストレスと戦いながらも、自分を慕ってついてくる600人の人々の生活も考えなければなりません。荒野で王としての訓練があったのです。主は、意味のない苦しみは与えられません。サウルが岩ひとつ隔てた所まで追い詰めた時、ペリシテ軍が侵入したと報告が入り、ダビデの追跡を断念します。人々はその場所を「分かれの岩」と呼びました。まさに神がダビデとサウルの間に入って「仕切り」となられたのです。主に伺い主と共に歩んだダビデを守られた神は、今、主にたずね求める私たちも守られるお方です。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2019-10-11 04:23:56 (28 ヒット)
メッセージ

 「逃亡者ダビデ」 サムエル上21章
ダビデは宮廷で楽器を演奏している時にサウル王に槍を投げられ殺されかけたり、王の娘ミカルと共に家にいても兵士に捕らわれそうになったり、預言者サムエルのもとに隠れても安全でないことを知り、最後の手段として親友ヨナタンに父サウルの真意を確認してもらいました。嘘の説明をして父サウルを試すような芝居をしたところ、サウルの怒りは息子を殺す一歩手前まで爆発します。サウルの敵意は気まぐれや思いつきのものではなく決定的となり、ダビデを確実に殺そうと執念深く追うようになりました。このことはダビデの信仰による勇気も委縮させました。そして空腹をかかえ祭司アヒメレクに相談した時、逃げのびるための方便として「王の用事で来ました」と伝えます。そこには聖別されたパンしかないと言われ、「私も部下たちも清い」と、一つついた嘘のために作り話を重ねるしかありませんでした。武器を携帯していなかったので、奉納していた巨人ゴリアテの剣をもらい武装しました。そのことを居合わせたエドム人ドエグがサウルに報せ、アヒメレクと祭司たちがダビデの陰謀に加担したとしてサウルは激怒し、祭司の町の住民もろとも皆殺しにしてしまいます。いっぽうダビデは、サウル王の支配下には安全な場所はないという判断から、大胆にも敵地ペリシテの王アキシュを頼りますが、王の部下たちがダビデを覚えていて受け入れられる空気ではないと感じ取り、気が狂ったふりをして町の外へ追い出されました。サウル王への恐れ⇒嘘、偽り⇒逃亡という負の連鎖から脱け出せないダビデの元に、アヒメレクの子エブヤタルが来ます。自分が逃亡している間に関わった人々を死へ追いやったことを聞き、ダビデは後悔します。恐れと不安におびえる時こそ、信仰の武具によって身を固め、自分も人もあざむくことなく平和の内に問題解決ができるよう主に知恵を求め、聖書から学ぶことができますように。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2019-09-21 13:12:27 (58 ヒット)
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「愛されたダビデ」 サムエル上18章
ペリシテ軍との戦いにおいて勝利したイスラエル軍。その戦の勲功者は強敵ゴリヤテを打倒したダビデでしょう。イスラエル軍の凱旋の際、人々は「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」と歌い兵たちを喜び迎えます。それを聞いてサウル王は激怒し、ダビデに対する妬みと猜疑を募らせます。神の霊がサウルから離れ、悪い霊がサウルのもとに来て彼の心を頑なにさせました。神はダビデと共にあり、自分は神に捨てられたとサウルの心は恐れと不安にさいなみます。ダビデは勝利の度に民衆の人気を得ましたが、サウル王からは殺意を向けられました。サウルが気に入らないことは身内の中にもあります。ダビデに危害を加えようとすると息子のヨナタンがとりなし、娘でダビデの妻であるミカルがダビデを逃亡させたことや、預言者サムエルはサウルと会うことは拒むが、ダビデを殺害するために差し向けた兵士からダビデを守ったことなどです。家族やかつて信頼していた人が自分の意のままにならず、自分を裏切るかのようにダビデをかばうことに益々腹をたてるのです。サウルとダビデの間にあって苦しむのがヨナタンです。彼はダビデと友情誓約を結んでいます。ヨナタンの方が年長ですが年齢に支障なく、自分と同じ性質をダビデの中に見たのでしょう。心の奥底にある共感できるもの、それは神に対する信仰です。ダビデもヨナタンも信仰の勇者です。二人は心の深いところから神によって結ばれていたのです。ヨナタンは苦心しますが友情を貫き通して父サウルの殺意からダビデを守りました。聖書における至上の友愛の表現に「人がその友のために自分のいのちを捨てること、これよりも大きな愛はない。」(ヨハネ15:13)とあります。主イエスは私たちのために犠牲となられました。「心を尽くし〜あなたの神、主を愛せよ」とはイエス・キリストの恵みを受け取り、その愛に応答しようとする者の心に生じる愛です。人々に愛されたダビデは、誰よりも主なる神を愛した人でした。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2019-09-13 11:00:21 (47 ヒット)
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 「サウル王の失敗」 サムエル上15章
指導者の働きは「決断する」ことですが、恐れと不安は判断を鈍らせます。聖書はその判断の失敗に多くの項を割きます。神に選ばれ油注がれた人物であっても、「神を恐れ、神に信頼し従う」という原則を誤ると、神の御心から離れたことを行ってしまうのです。サウルは神に選ばれ、油注がれた人物です。知性と霊性、信仰の勇気に富む人物でした。その彼も判断を間違えることがありました。一つはペリシテの大軍に圧迫されて勝利を祈願するいけにえを捧げる時、サムエルに7日待てと言われたのに約束の期日までに脱走が相次ぎ残った兵は600名、これ以上待てないとサウル自身が燔祭をささげたことです。神聖同盟から王政へ移行する過渡期であり、サウル王に反対する人々もいました。民衆の心が離れてしまう、王の立場が危うくなる不安とあせりが、祭司の働きを勝手に行い「主の命じられた事を守らなかった」のですが、自分では不従順の罪を犯したと気づきません。やがてサウル王は勝利を積み重ね勢力を拡大し、イスラエルの信頼を勝ち得、20万もの兵が集まるほどになった時、神は「アマレクを聖絶せよ」と命令されます。しかし命がけで戦うイスラエルにとって恩賞や戦利品の望めない戦いは「益」がないようです。犠牲に対する報いを欲したサウル王と民たちは、アマレクの持ち物を滅ぼし尽くせという命に背いて家畜の良いものを残し、アガク王を生け捕りにします。サムエルに「主の声に聞き従わなかった」と指摘されると、サウルは「兵たちが主にささげるため、良いものを取り分けた」と責任転嫁し、言い逃れます。そのサウル王の振る舞いを悲しまれ、神は「あなたが主の言葉を捨てたので、王位から退ける」と言われます。神を信じる私たちもサウルと同じです。私たちが立つ原則は何でしょうか。「主の御言葉に聞き従うことを喜ぶ」のはイエス・キリストの十字架による神の愛に拠るところです。私たちを突き動かす動力は恐れに対する服従ではなく、神の愛に対する応答なのです。 


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2019-09-13 10:57:36 (48 ヒット)
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「イスラエルの王」 サムエル上8章
サムエルは年老い、二人の息子にさばきつかさの働きの一部を委ねましたが、息子たちは賄賂を好み不正な裁きを行い父サムエルのようではありませんでした。息子の教育というところにおいて、サムエルは師エリの轍(てつ)を踏んでいたのです。サムエルの後継者を信頼し従うことができないイスラエルの民衆は「私たちに王を立てよ」と叫びます。ペリシテの脅威に対抗するために次代のリーダーたる王が必要だったのです。けれども民衆やイスラエルの指導者たちは大切なことを忘れています。イスラエルを真に治め、導いているのは神であるということを。未来に対する不安、危機への備え、解決方法として「神に拠り頼む」という原則に立つのではなく、自分たちが選ぶ王に仕えようとするのは、信仰よりも優先する自分たちの思惑があるからでしょう。「我々も他の国々のようになり‥」異邦人と同じようになりたい、と。イスラエルのアイデンティティすなわち“神に選ばれた民である”という意識を失いかけているのです。サムエルが怒りと悲しみに打ち震えている時、主が語りかけられました。「(イスラエルは)あなたを否定したのではなく神であるわたしを否定したのだ」神は見抜かれた上で、サムエルに民の声に従い王を立て、王の権利について知らせるように言われます。王の権利、つまり徴兵・徴用・徴税の権利です。後にソロモン王の代にこの権利が徹底され、北イスラエルにダビデ王朝に対する反感が生じます。神はこの制度上の問題点を早くから警鐘を鳴らしておられました。王も人の中から選ばれる以上、いつでも都合よく民衆の利益に立つわけでなく、むしろ王が問題を起こしイスラエルの災いとなるかもしれない。しかし神は全てご承知の上で、御心によってサウルが、ダビデが選ばれ、サムエルの最後の務めとして王に油を注いだのです。


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