アーカイブ | RSS |
投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2017-08-03 10:26:37 (727 ヒット)
メッセージ

「神の霊の宿る人」創世記41章9〜49節
兄弟に売られ奴隷に陥れられ、偽りの証言によって牢獄へ入れられ、とりなしを期待するも忘れられる。これだけ見るとヨセフの人生は悲惨です。人を恨まず、憎まず、まっすぐに世を生きていくのは困難なことでしょう。それでもヨセフは彼を取り巻く環境や状況は変化しても信仰は変わることがなく、神の前に誠実に歩んだのです。エジプトの王(パロ)が不思議な夢を見て気になり、エジプト全土の知恵者や呪術師を招集し、その夢を解き明かすように命じましたが誰もできません。その折、信頼を回復し復帰していた給仕長がヨセフのことを思い出し、パロにヨセフを推薦します。ヨセフはパロの夢を解き明かし、7年の豊作の後に来る7年の飢饉に備え監督官を任命し、食料管理する必要を的確に提言しました。「神の霊を宿っているこのような人を、ほかに見つけることができようか。」と、ヨセフは王に次ぐ地位と権威を与えられました。ヨセフ物語はヨセフの成功物語ではなく、神に遣わされ、神と共に歩んだ者のお話です。聖書には神の霊に満たされ、神に遣わされ、神と共に歩んだ人物が幾人も登場しますがその最たるお方がイエス・キリストです。キリストは私たちの身代わりとなり十字架に架けられ殺されましたが、よみがえられました。私たちにいのちの道を備えて下さったのです。このキリストを信じる私たちにも神は御霊なる聖霊を送ってくださいました。信じる私たちも神の霊を宿す者なのです。神と共に歩んだヨセフのように困難や痛みを通らなければならないとしても、神のご計画の内を歩むならば幸いを得るのです。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2017-07-25 14:25:25 (738 ヒット)
メッセージ

「忘れ去られたヨセフ」創世記40章
奸計により牢獄に入れられたヨセフでしたが、牢獄長にもヨセフは認められ、管理を任せられます。そこでは普通に生活していれば関わりあうことのない類の人達、宮廷料理長と給仕長という高官との出会いがありました。彼らはエジプト王に咎められ投獄されたのです。共に王のそば近く仕え、心から信頼されなければ任せられない役です。彼らの罪状も、濡れ衣なのかどうかも明らかにされていませんが、王(パロ)の怒りが解けなければ断罪されるかもしれず、2人とも進退窮まった状態でした。ある日、2人ともそれぞれ意味のありそうな夢を見て、それが今後の自分達の運命を示唆するものだと感じるものの、夢の解き明かしをすることができずいらいらしていました。ヨセフはその2人の夢の解き明かしをしました。後の時代にはダニエルが、王の夢を聞いて解き明かしをしています。夢見る者と兄弟から悪口を言われていたヨセフは、神から知恵をいただいて夢を解き明かす人に成長していました。ヨセフは外見も優れており、能力も賜物もあるのに、無実を訴えても聞いてもらえず、誰かに頭を下げて頼まなければならない状況にありました。そして夢の解き明かし通りに復職した給仕長は、ヨセフのことを忘れパロにとりなしをせず、時が過ぎていきます。誠実に生きていても報いがなく、人々から軽んじられ忘れられているように思う時があります。しかし今ある状況だけで人生を決めつけてはいけません。ヨセフの驚くべき生涯を見ると、どのような時でも神は彼を忘れず、神の計画のうちに訓練し続けていました。私達も逆境の中でも共にいて下さる神を忘れず、信頼し歩むことができますように。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2017-07-20 22:39:10 (740 ヒット)
メッセージ

「主はヨセフと共におられた」創世記39章
ヨセフは兄弟に奴隷として売られ、一切の物を失ったように思われました。ヨセフを買い取ったのはエジプトの侍従長ポテファルでした。そこで忠実に仕え、仕事が認められ信頼されました。言葉と文化の異なるエジプトでの奴隷生活は心細かったことでしょう。真に頼るべきものが無ければ、正しく生きていくことは困難です。ひねた生き方をする誘惑を退け、神を畏れ、ゆだねられた物を忠実に管理する中で、当のヨセフは気づいていませんが、後に大臣になる訓練は始まっていたのです。神はすでに大きなご計画をもっておられ、その将来に向けヨセフを整えておられたのです。しかし、ポテパルの妻の讒言にあい牢獄へ入れられてしまいます。なぜ正しく生きようとする者が苦難に遭うのか、人生の不条理は信仰に歩む者の一つの問いです。「自分もしくは身内が何か罪を犯したから、今の結果を招いてしまったのかもしれない」と因果論に拠ると、罪探しで追い詰められてしまいます。しかし立場や状況が悪くなっても、今ある所で誠実に最善を尽くす、それが神に祝福されたヨセフの応答でした。「神が共におられた」ヨセフは獄屋の中でも管理能力を評価され、やがて王にそば近く仕える高官が入獄した際、彼らに仕えることになります。全ては神の御手の中で起こった出来事であり、神も彼と共に在ってヨセフの生涯を導かれたのです。私達も神のご計画の中で生かされていることを覚え、状況が良くても悪くても神から任された物を正しく管理し用いながら、信仰が引き上げられるよう祈りましょう。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2017-07-14 10:44:38 (717 ヒット)
メッセージ

「恵みの計画」創世記38章
ヤコブの家族のうちに起こった出来事を学んでいます。38章はヨセフの物語に挿入された形ですが、マタイ福音書のキリストの系図に登場する2人の人物:ユダとタマルのお話です。ユダは父ヤコブの家を出て、カナンの地で結婚し3人の男子を得ます。子どもたちは成人し長子エルはタマルと結婚します。しかしエルは悪い人だったので神に打たれ死んでしまいます。子がなく死んでしまった兄エルの家系が途絶えないため、弟オナンは兄嫁を娶りました。しかし出来た子どもを兄の跡継ぎとするレビラート婚(当時は地域の習慣)の義務をオナンは果たそうとしないため、神はオナンをも打たれました。息子二人の死をタマルに原因の一部があるのではないかと考えたユダは、三男シラとタマルとの結婚は理由をつけて先延ばしにしていました。そこでタマルは遊女になりすまし、義父ユダと性的関係を持ち妊娠します。当時の文化・風習を知らなければ理解に苦しむ出来事です。やがてタマルは双子を生みペレヅ(破れ)、ゼラ(暁)と名付けられます。主イエスはヨセフの子孫ではなく、弟を奴隷として売ったユダの子孫としてこの地上に来られました。タマルは姦淫したと誤解され命の危険に遭うかもしれないが、家系を絶やしてはならないと自分の義務を懸命に果たそうとしました。救い主の家系は決して正しい歩みをした立派な人ばかりではありません。人間は罪と汚れのうちに生まれてくる、だからこそ、神は罪人を救うため、人類の罪による破れ目をふさぐため、キリストはペレヅ(破れ)の系統から誕生するという恵みの計画を立てられたのです。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2017-07-06 06:28:08 (712 ヒット)
メッセージ

「救いの計画」 創世記37章12〜36節
父ヤコブに命じられ、ヨセフは羊を牧し宿営している兄達の様子を見に行きました。兄達は先にヨセフが近づいてくるのを見つけ、彼を殺そうと謀ります。しかしルベンのとりなしと、ミデヤンの隊商に奴隷として売るというユダの提案が取られ、ヨセフはエジプトへ連れて行かれました。父ヤコブ、兄達、ヨセフそれぞれに言い分があります。各々が自分の感情に従った結果、兄弟間での殺意、奴隷として売るという倫理的に非情に忌まわしい行為を生み、その結果、長い喪失感と後悔だけが残ったのです。しかし後に、ヨセフは飢饉の時にエジプトで一族を救う為に遣わされたことを知るのです。この出来事から学ぶことは、人生には神のご計画があり、私達が経験する出来事、罪の結果起こる事件、それらも神は御手によって益に用いられるということです。この事件とイエス・キリストの十字架を重ね合わせてみましょう。イエスを十字架につけて殺した人々は、自分達が正しいと思っていました。民衆を惑わし、社会を乱すこの人物を殺すことによって、宗教的秩序と自分達の権威を守ろうとしたのです。イエスを憎み、妬み、亡き者にする、その計画は成功しました。しかし人々の悪意にまみれた十字架が、神により人々の救いの御業に用いられたのです。色々な出来事に翻弄される私達ですが、神は私達の人生にご計画があり、未来を備えていてくださっているということを心に留めて歩みましょう。


« 1 ... 60 61 62 (63) 64 65 66 ... 120 »
ID : Pass :