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投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2015-07-23 23:26:00 (1398 ヒット)
メッセージ

『人の計画と神の計画』 創世記16章
「人の心には多くの計画がある。しかし、主のはかりごとだけが成る(箴言19:2)」  神の声に従いカナンの地に来て10年の歳月が過ぎたアブラム。神は繰り返し祝福の約束をしてくださったが、アブラムとサライ夫婦は主の約束の実現を待てず、自分たちで考えつく方法によってそれを成そうとします。しかし、その神のご計画とは違うその方法は、多くの問題を含むものでした。女奴隷ハガルは懐妊すると主人であるサライを見下げるようになります。侮蔑と受け取ったサライの怒りはアブラムに向かい、アブラムから許可を得てサライはハガルに辛くあたります。耐えきれずハガルは胎児共々死ぬ可能性があるにもかかわらず逃げ出しました。逃亡中のハガルが荒野で水を求め泉に立ち寄ったところ、主の使いに声をかけられました。神はハガルとその胎の子イシュマエル(「神は聞いて下さる」の意)に祝福の約束をされました。ハガルの苦しみも顧みて下さる神を、彼女はエル・ロイ(ご覧になる神)と呼びます。神の深い慈しみと憐みに触れ、彼女はサライのもとに帰る勇気を得ました。ハガルは泉で水を求めましたが、それにまさる恵みを見つけたのです。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2015-07-17 13:19:36 (1208 ヒット)
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『赦しと祝福の約束』 創世記15章
「信じる人の父」と呼ばれるアブラハムは、何か偉大な働きを成したためにそのような冠を戴いているのではありません。主こそ神であると信じたことが義とされたのです。何故アブラハムが神を信じたのか詳細に聖書には記されていませんが、分かることは神がアブラハムを選び、一方的に恵みを注がれたのです。「あなたを大いなる国民とする」「祝福の基となる」「あなたの子孫を地のちりのように(多く)する」「(これらの)地を与える」…神の約束は、語られた時点では何一つ目に見える形となっていません。アブラムが「私がこれを継ぐのをどうして知ることができますか」とたずねると、神はいけにえをささげるように言われました。古代近東の人々の契約の方法に則し、アブラムは獣を2つに裂きました。この契約は甲と乙の互いの努力によって守るものではなく、神ご自身の力で果たされるということを燃える炎を通して示されました。信仰者とは神の約束は成る、と信じ続け「待つ」ことができる人です。「わたしは恵もうとする者を恵む」と言われる神のまなざしは私たちにも注がれていることを知りましょう。  


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2015-07-08 12:47:01 (1382 ヒット)
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『アブラムの選択』 創世記13章
アブラムはエジプトで妻サラを妹であると偽ることによって問題を回避しようとしましたが、神の介入によってパロの知るところとなりエジプトから追放されました。アブラムは神から罰を受けるのではなく慈しみと赦しを経験し、カナンに帰ると主に祭壇を築き礼拝をささげました。神から祝福されたアブラムは富を増し、それゆえに問題が勃発します。甥ロトとアブラムの家畜の牧者間の争いです。アブラムは争う事を嫌いロトに別れて住まうことを提案します。アブラムは更に、住みゆく地の選択権も譲り、ロトは見目麗しいヨルダン低地の豊かな土地を選びます。結果、アブラムはカナンの地に残りました。目先の富を自ら選ばず甥との争いを避けたその判断には、主に委ねる信仰が見えます。神はアブラムに語りかけられ永久の祝福の約束を与えられました。アブラハムに立てた約束は御子イエス・キリストを信じる私たちにもおよぶのです(ローマ4章13〜25節)。私たちも神に信頼し、主に感謝をもって礼拝をささげようではありませんか。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2015-07-02 13:22:58 (1393 ヒット)
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『アブラムの信仰』 創世記12章
神の声に従い旅に出たアブラムに最初に訪れた試練はカナンでの飢饉でした。アブラムが一族を守るため下した決断は神の導きの地を離れエジプトへ避難するとことでした。その際、アブラムは保身のためサラに妻ではなく妹として偽るように言い含めます。エジプトでサラはその美しさゆえに人々の評判になりエジプトの王に召されることになりました。アブラムはサラの兄として王からたくさんの贈り物が与えられました。アブラムは嘘によって財産を得たのですがその心境はどの様なものだったでしょうか。そこで突然、神は介入され疫病でエジプトを打たれます。王は疫病の原因がアブラムの嘘にあることを批難し、二人を国境へ送り届けました。後に信仰の父と呼ばれるアブラハムですが、自分の愚かさを恥じたことでしょう。道を外れそうになった彼は、神に連れ戻されました。それは失われた息子が、本来なら父の前で顔をあげることもできない者であるのに、赦され受け入れられたのと同じ喜びを知ったことでしょう。私たちも、罪を赦し喜んで受け入れて下さる父なる神様に感謝の祈りをささげましょう。 


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2015-06-21 22:28:49 (1181 ヒット)
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『私たちを救う名』 使徒行伝4章1〜22節 
「美しの門」でのいやしの奇蹟の後、死者の復活を認めないサドカイ人は、十字架で死んだイエスの復活を告げ民衆を惑わしたとしてペテロとヨハネを捉えました。「何の権威、誰の名によってこのことをしたのか」指導者たちは裁きの座において質問しました。ペテロは聖霊に満たされ堂々と、イエスが神から遣わされたキリストであること。そのイエスを十字架にかけ殺したこと。しかしイエスは死に留めおかれず神によってよみがえったことを証言しました。「この方以外に救いはない。」 いのちに至る救いの道はイエス・キリストだけです。救いはイエスを信じる信仰のみ。他に条件はありません。競争社会の中で比較され人はその存在を否定され傷つきます。しかし神は相対的に人を見るのではなく一人ひとりに御目をかけてくださいます。キリストはその眼差しでもって私たちを愛し、身代わりとなり十字架にかけられ、死で終わるのではなくよみがえられました。十字架と復活は神の愛と赦しの現れです。ペテロの説教によって大勢の人々がイエスを信じました。「信仰は聞くことによる」神のことばを聞いて信じる人々が起こされますように。


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