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投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2015-06-21 22:28:49 (1181 ヒット)
メッセージ

『私たちを救う名』 使徒行伝4章1〜22節 
「美しの門」でのいやしの奇蹟の後、死者の復活を認めないサドカイ人は、十字架で死んだイエスの復活を告げ民衆を惑わしたとしてペテロとヨハネを捉えました。「何の権威、誰の名によってこのことをしたのか」指導者たちは裁きの座において質問しました。ペテロは聖霊に満たされ堂々と、イエスが神から遣わされたキリストであること。そのイエスを十字架にかけ殺したこと。しかしイエスは死に留めおかれず神によってよみがえったことを証言しました。「この方以外に救いはない。」 いのちに至る救いの道はイエス・キリストだけです。救いはイエスを信じる信仰のみ。他に条件はありません。競争社会の中で比較され人はその存在を否定され傷つきます。しかし神は相対的に人を見るのではなく一人ひとりに御目をかけてくださいます。キリストはその眼差しでもって私たちを愛し、身代わりとなり十字架にかけられ、死で終わるのではなくよみがえられました。十字架と復活は神の愛と赦しの現れです。ペテロの説教によって大勢の人々がイエスを信じました。「信仰は聞くことによる」神のことばを聞いて信じる人々が起こされますように。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2015-06-14 23:42:01 (1174 ヒット)
メッセージ

『キリストの名によって』使徒行伝3章1〜16節 
「美しの門」で人々から施しを受けていた男がペテロに期待したものは金銭でした。しかし、ペテロが持っていたものは「キリストの名」、病める者を癒し悪霊を追い出す権威でした。すぐに消費してしまう金銀ではなく、ペテロは彼に本当に必要なものを与えました。生まれつき足の不自由な彼に信仰が与えられ、自分で立ち上がることが出来たのです。信仰は人を強め、自立させるものです。時に私たちは頼みにしていた人やものを取り去られると失望し、先へ進めない、立ち直れなくなることがあります。そのような時、立ち上がらせて下さるのがイエス・キリストです。生きていく中で思いもよらない、想像もつかないことが起こります。自分の知識や経験ではどうにもならないことがあります。そのような時、私たちは神により頼みます。信仰さえも神様からの賜物であり、試練に向き合う勇気、乗り越えさせて下さる力を与えて下さいます。悪い時代にあってもイエス・キリストの名により頼み、力を得て歩んでいこうではありませんか。 


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2015-06-14 23:40:46 (940 ヒット)
メッセージ

『御霊が語らせるままに』使徒行伝2章1〜36節 
弟子たちはイエスを信じ父の約束〈聖霊〉を待ち望み祈っていた。五旬節の日、共に集い祈っていた弟子たちに突然、聖霊が注がれ、一同御霊が語らせるままに外国の言葉で神を褒め称えだした。人々は驚き惑った「これはいったいどういうことか」。ある人は彼らを「酔っぱらっている」と嘲った。ペテロは人々に語った。これは聖書が預言していたことの成就である。神はあなたがたが十字架で殺したイエスをよみがえらせた。イエスこそ神から遣わされたキリストだ。イエスは約束の聖霊を私たちに注がれたのだ。これを聞いた人々に強く心刺された人がいてペテロにどうすればよいか尋ねた。ペテロは悔い改めバプテスマを受けることを勧めた。多くの人々が彼の勧めのことばに従った。イエスは聖霊に満たされ導かれ公生涯を歩まれた。そして悔い改め聖霊に満たされた人々の群れが教会の起源となった。ペテロや弟子たちが御霊に満たされ力を受けたように私たちも御霊に満たされ歩み続けようではありませんか。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2015-06-01 14:40:25 (1190 ヒット)
メッセージ

『生ける水の川』(ヨハネ7章37〜39節)
私たちが生きるこの世界には渇きがある。飲み水を欲する肉体的な渇きだけではない。真理に対する魂の渇き、神から遠ざかる飢え渇きである。人はその渇きに気づいていないかもしれない。また私たちはその渇きを潤すために神ではなく違ったものを求める。それは人であったり、物であったり、地位や名誉であったりします。しかし、それによって本当の渇きが潤されることはありません。このような私たちにイエスは大声で言われました。「誰でも渇いているならわたしのもとに来なさい。わたしを信じる者は聖書がいっているとおり腹から(心の奥底=内側)から生ける水の川が流れだす。」
谷川の流れを慕う鹿のように(詩編42:1−2)神の臨在を求める者には聖霊がその渇きを潤して下さるのです。イエスを信じる者には生ける水(聖霊)が注がれる。この御言葉に従い、御霊に生かされ歩んでいこうではありませんか。


投稿者 : Otsuka 投稿日時: 2015-05-24 22:00:21 (973 ヒット)
メッセージ

『キリストと聖霊によって』 
(使徒行伝1章3〜5節)
 ルカによる福音書の続きである使徒行伝。ルカが書き記したイエスは病の人を癒し、弱った人を助け、罪人に対し神の愛と憐れみを説いたお方。そして福音書の中で最も聖霊の御働きが多く記されている。
 使徒行伝1章には、復活のイエスが弟子たちの前に現れてから天に昇られるまでが書かれている。イエスは弟子たちに二つの事を指示した。すなわち、エルサレムにとどまること。そして父なる神の約束(聖霊)を待つことである。洗礼ヨハネは水で浸したが、神が遣わす聖霊が降りる(注がれる)バプテスマのことをイエスはすでに話しておられた(ヨハネの福音書14章〜15章)。イエスは天にあげられたが、距離的に遠くに行かれてしまったのではない。聖霊によって、信じる者と今も共にキリストはその働きをなしておられる。聖霊は真理を確信させ、キリストをあかしし、力を与えられる。
 神が約束された助け主、聖霊を私たちも求めてまいりましょう。


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