『主を求める』
私たちは、あれこれと主に祈り求める。しかし、親が子供とって‘良い物’を与えるように、神様は、私たちがもっと深く主を知るために、聖霊を注ごうとしておられる。私たちは、さらに深く、力強く主ご自身を求めていきましょう。 ルカ11:9〜10
『豊かに満たされる主』
申命記など、収穫の初穂を、また十分の一を捧げるように命じている。それは単なる取り決め事でなく、捧げる者を豊かに満たして下さる主の約束である。時間であれ、献金であれ、自分を優先するのでなく、先ず主に捧げる時に、主は‘あふれる程に’満たして下さるのです。 列王上17:1〜16
『主のしもべ』
モーセは‘目はかすまず、気力は衰えていなかった’と言う。私たちは、モーセ程の働きはできないかも知れないが、それぞれに置かれている所で、信仰を守り、小さな事でも与えられた使命をはたし、‘主のしもべ・キリストの僕’と呼ばれて生涯を全うさせていただきましょう。 申命34:1〜8
『口先だけでなく』
『耐え忍んで実を結ぶ』
私たちに蒔かれた福音の種は、同じものが蒔かれている。しかしどのような心で、受け止めるかによって変わってくる。‘種’は、自分で受け変わる事は出来ない。しかし、私たちの信仰生活の環境を整えて、心を耕し‘良い地’に変える事は出来る。また主が変えて下さり、耐え忍んで実を結ぶ者に成長させて下さるのです。
ルカ8:4〜15