『口先だけでなく』
『耐え忍んで実を結ぶ』
私たちに蒔かれた福音の種は、同じものが蒔かれている。しかしどのような心で、受け止めるかによって変わってくる。‘種’は、自分で受け変わる事は出来ない。しかし、私たちの信仰生活の環境を整えて、心を耕し‘良い地’に変える事は出来る。また主が変えて下さり、耐え忍んで実を結ぶ者に成長させて下さるのです。
ルカ8:4〜15
神様の許しでサタンは、ペテロたちを誘惑に陥れる。イエス様の十字架、復活は、主のご計画の中にあったことであるが、「誘惑に陥らないように祈っていなさい」と注意されていた。
ペテロに主は、‘立ち直ったら’他の弟子たちを力づけるように命じられる。私たちも、落ち込んだりする。しかし主は、私たちの弱さをご存じである。同じ所に留まっていないで、主を見上げて立ち上がり、兄姉のために、共に祈り励まし合う事を求めておられる。 ルカ22:31〜34
≪イースター礼拝≫
『見ないで信じる者』
イエス様がよみがえられ、主と会ったというマリヤの話を聞いても、弟子たちは、半信半疑であった。「安かれ」という言葉と共に入って来られたイエス様を見て弟子たちの恐れは一変した。主が与えて下さる平安は、世の与える平安とは違う。
その場にいなかったトマスは、「その手に釘あとを見・・なければ信じない」と、ひどい言い方をしているようであるが、すぐに信じる事の出来なかった弟子たちと大差はない。主のよみがえりを信じる事は、難しい事かも知れないが、「見ないで信ずる者は、さいわいである」と今の私たちに言われている。
私たちは、肉眼で主を見る事はできない。しかし聖霊によって主を信じる力が与えられる。この後、弟子たちが聖霊を受けて、力強く変えられたように、私たちも、聖霊により、深く主を知る事ができるのです。
ヨハネ福20:19〜31
『新しい契約の始まり』
ヨハネ福19:23〜30