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投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2012-10-19 19:32:18 (1429 ヒット)
メッセージ

『イエスキリストのいやし』


口のきけなくする霊に取りつかれた子を、弟子たちは癒すことが出来なかった。彼らは、イエス様に悪霊を追い出す権威を与えられたハズであったが、出来なかったばかりか、学者たちと論じ合うことに気を取られていた。

イエス様は、目を向けるべきものが見えていない弟子たちや「もしできれば・」というこの父親の信仰の弱さを嘆かれる。イエス様が十字架に架かられたのは、人々が救われるため、癒されるためであった。私たちは、それをしっかりと見据えていなければならない。

 医学の発達で、これはどう考えたらいいのか?と思う事が有る。しかし、十字架に架かられた主は変わることなく、私たちの癒し主である。どんな時も「不信仰な私をお助け下さい」と主に近づく者でありたい。                       マルコ9:1429


 


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2012-10-12 18:56:53 (1446 ヒット)
メッセージ

『より深く主を知る』


サマリヤの女は、人目を避けて、生活していたにも関わらず、イエス様と出会った事によって、人生が激変し、町へ出て行き人々に証しした。彼女の変わりようと、その言葉によって人々は、イエス様を信じた・

彼らは、それだけではなく、イエス様を招き、2日間自分自身で親しく聞いて、自分の救い主として信じた。私たちもイエス様を信じた時、誰かの証しを聞いたり、勧められたりして、信じた。きっかけは、それぞれ違っていても、親しく主に近づき、より深く自分自身の救い主としてしっかりと、受け止めることが大切である。

 

 私たちは、サマリヤの女のように証しする者でありたいし、その人が、自分でさらに深く主を求め、信じる人になるようにと、とりなし祈る事が必要である。コンサートに来た人たちのために祈りましょう。

                              ヨハネ4:3942


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2012-10-05 21:05:21 (1236 ヒット)
メッセージ

『種をまく働き』


種まきのたとえの中で、良い地に蒔かれた種は、60倍、30倍と殖やされている。だから私たちの心を整えていただき、み言葉を聞く者とならなければならない。

ある意味において日本の伝道は、道端や石地のような困難さがある。だからと言って、「やらない方がイイ」と辞めてしまっても良いだろうか?「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。」は、いつの時代もどこででも、変わらないイエス様のご命令である。

 

 そのためにもイエス様が一粒の種となって、十字架にかかって下さった。ついつい言い訳をしがちな私たちであるが、救って下さるのは、また成長させて下さるのは、主である。状況がどうであれ、収穫の主に祈りつつ、種まく者としていただきましょう。      

                            マタイ13:1〜9


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2012-09-28 20:01:27 (1557 ヒット)
メッセージ

『栄光を帰する』


 私たちの人生の目的は、神様と永遠に交わる事であり、神様に栄光を帰すことである。それは、罪人であった私たちを、イエス様の十字架をもって買い戻して下さったからである。


私たちは、主の十字架によって救われ、食物など様々な規定から解放されているが、キリストと一体とされているのだから、好きなようにふるまうのでなく、不品行を避けるなど、主の栄光を現わす者として、生きることが大切である。

 ‘栄光をあらわす’とは、立派な、成功者であることばかりが、‘栄光’と言えない。パウロは、自分がみじめな状態になっても、キリストがあがめられる事を願った。私たちが、どんな状況の中でも主を喜び、仕えているならば、それを主は喜んで下さるし、人はそこに主の栄光を見るのである。       コリント第1、6:1920


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2012-09-21 19:41:53 (1342 ヒット)
メッセージ

『主に生かされている』


詩篇113〜118篇は、巡礼の詩で、イスラエルの人々が礼拝に行く時、歩きながら朗読したり賛美したりした詩である。イエス様もご自分の十字架を見据えて、ゲッセマネに向かう道で、死と復活を預言されているこの箇所を弟子たちとを朗読された。

私たちの人生も様々な苦しい所を通る。しかしその苦しみの中から、主を呼び求めると、主は答え、私たちを‘広い所’へ導き、その御名によって解放して下さった。主はどんな時も、主のみ名を呼ぶ者の味方である。

 苦しい時に死んだ方が、楽だと思う事がある。しかし私たちは、主に‘生かされている’と言う事を忘れてはいけない。生かして下さる主に感謝し、『私は死ぬことなく、かえって生き、そして主のみわざを語り告げよう』と言われるように、主を証ししつつ、歩んでいきましょう。 


                                 詩篇118篇


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