『イエスキリストのいやし』
医学の発達で、これはどう考えたらいいのか?と思う事が有る。しかし、十字架に架かられた主は変わることなく、私たちの癒し主である。どんな時も「不信仰な私をお助け下さい」と主に近づく者でありたい。 マルコ9:14〜29
『より深く主を知る』
『種をまく働き』
『栄光を帰する』
私たちの人生の目的は、神様と永遠に交わる事であり、神様に栄光を帰すことである。それは、罪人であった私たちを、イエス様の十字架をもって買い戻して下さったからである。
‘栄光をあらわす’とは、立派な、成功者であることばかりが、‘栄光’と言えない。パウロは、自分がみじめな状態になっても、キリストがあがめられる事を願った。私たちが、どんな状況の中でも主を喜び、仕えているならば、それを主は喜んで下さるし、人はそこに主の栄光を見るのである。 コリント第1、6:19、20
『主に生かされている』
苦しい時に死んだ方が、楽だと思う事がある。しかし私たちは、主に‘生かされている’と言う事を忘れてはいけない。生かして下さる主に感謝し、『私は死ぬことなく、かえって生き、そして主のみわざを語り告げよう』と言われるように、主を証ししつつ、歩んでいきましょう。
詩篇118篇