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投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2014-06-06 19:32:18 (1295 ヒット)
メッセージ

『主を求める』


主は、常に礼拝されるべきお方であり、旧約聖書にも‘主を呼び求める’という言葉がたくさん出てくる。しかし、人は‘罪’のために、神様から遠く離れてしまった。主は「帰れ、主に求めよ」と待っておられた。

イエス様は、隔たりの出来てしまった神様と私たち‘人間’の関係を十字架によって回復して下さった。それだけでなく、『わたしの名によって』求めるように教えられた。私たちは、イエス様を通して、与えられている特権として、積極的に‘求め、探し、たたき’続けることが許されている。

 私たちは、あれこれと主に祈り求める。しかし、親が子供とって‘良い物’を与えるように、神様は、私たちがもっと深く主を知るために、聖霊を注ごうとしておられる。私たちは、さらに深く、力強く主ご自身を求めていきましょう。           ルカ11:9〜10


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2014-05-30 18:06:49 (1092 ヒット)
メッセージ

『豊かに満たされる主』


数年雨が降らない飢餓状態の中で、主は、エリヤをカラスを用いて養われた。ケリテ川が枯れると次の地で「やもめに養わせよう」と約束される。

エリヤは、これまで養われた神様が、自分とやもめたちを養って下さると信頼し、やもめに‘まず’エリヤのためにパンを持ってくるように命じた。やもめは、断る事も出来たのではないだろうか?しかし『恐れるな』と言う言葉に、最後の食料を差し出した彼女と家族は、粉も油も尽きず‘久しく’食べる事が出来た。

 申命記など、収穫の初穂を、また十分の一を捧げるように命じている。それは単なる取り決め事でなく、捧げる者を豊かに満たして下さる主の約束である。時間であれ、献金であれ、自分を優先するのでなく、先ず主に捧げる時に、主は‘あふれる程に’満たして下さるのです。                     列王上17:1〜16


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2014-05-23 19:33:35 (1273 ヒット)
メッセージ

『主のしもべ』


主は、モーセに、眼下に約束の地を見せて下さったが「あなたはそこへ渡って行くことはできない」と言われた。つぶやき続けた民を率いる指導者に対する主の厳しさである。モーセは、それでも民の事を気遣い後継者を求める。

 モーセにとって、約束の地に入れない事は、残念であったがこれから異邦の民と闘っていく事に対する神様のモーセへの配慮であったとも言える。そして、‘主のしもべモーセは・・死んだ’記録される事はなんと名誉なことだろうか?

 モーセは‘目はかすまず、気力は衰えていなかった’と言う私たちは、モーセ程の働きはできないかも知れないが、それぞれに置かれている所で、信仰を守り、小さな事でも与えられた使命をはたし、‘主のしもべ・キリストの僕’と呼ばれて生涯を全うさせていただきましょう。                  申命34:1〜8


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2014-05-16 19:12:48 (1099 ヒット)
メッセージ

『口先だけでなく』


儀式に囚われずパンを食べていた弟子たちを見て、パリサイ人たちは、イエス様にとがめるように質問した。イエス様は、イザヤ29章を引用して彼らの‘口先だけの、心が離れている’信仰姿勢を責められた。

また人が律法を拡大解釈した‘言い伝え’を守るために、『あなたの父と母を敬え』という律法さえも自分たちの都合に合わせて、捨ててしまっていると言われる。今日は、母の日であるが、この日だけ、母を敬えば良いわけでないし、プレゼントさえしていれば良いわけではない。

私たちは、時々、「聖書にそんな事が書いていたのか?」と思える事に囚われている事がある。聖書の教えを勝手な解釈で代えてはいないか、その‘真意’を主に教えられて、心から従う者となりましょう。

                         マルコ7:1〜16

 


投稿者 : ryokos2004peter 投稿日時: 2014-05-09 17:56:40 (1218 ヒット)
メッセージ

『耐え忍んで実を結ぶ』


イエス様は、神の国の奥義をたとえで語られ、ある者にわかりやすく、ある者に奥義を隠された。ここで語られた‘種蒔きの譬え’の種は、福音であり、蒔かれたものが、成長して実を結ぶ事が大切である。

 種は、道端、岩の上、いばら、良い地、どのような土壌に落ちたかによって、それぞれの成長に違いが出る。道端に落ちた種は、芽さえ出ないが、岩の上やいばらは、芽を出して少しは成長するのに、枯れてしまったり、十分に成長できない。

 私たちに蒔かれた福音の種は、同じものが蒔かれている。しかしどのような心で、受け止めるかによって変わってくる。‘種’は、自分で受け変わる事は出来ない。しかし、私たちの信仰生活の環境を整えて、心を耕し‘良い地’に変える事は出来る。また主が変えて下さり、耐え忍んで実を結ぶ者に成長させて下さるのです。 


                         ルカ8:4〜15


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